「不殺人殺」(ふせつにんせつ)という仏教用語がある。これは、「人は人を殺してはならないし、又、人は人を殺させてはならない」との厳しい戒めの言葉である。元々「不殺生」との言葉があるが、それ以上に「不殺人殺」と戒めを強調しているのは、それだけ人類というものが、命ということについて、いいかげんな処があるからだろう。今でも、それだけの理由があり、それだけの正義があるのなら、人は人を殺しても仕方が無いという考え方が根強くある。私は、この考えこそが、戦争という人類最大の犯罪を許す根本であると思う。
人は誰しもが、幸福になる為に、この世に生まれてくる。幸福になる為の全ての権利を「人権」と言う。この人権を支えているのは、生命(いのち)である。だから何と言っても生命が、何よりも尊いのである。
その上、二十世紀の後半になってから、正義についての考え方が変わって来ている。三千年も昔の、国家とか領土とか民族とか宗教等による正義が、今の時代での正義であり得るのであろうか。正義は、いずれにしても相対的なもので、絶対的なものではない。
AIの技術が進み、宇宙にむけて、この地球が開かれようとしている時、古い正義観はリニューアルしなければならない。
今、世界で起こっている悲劇は、いずれも時代遅れで、自分勝手なことばかりだ。本当の正義は、生命と自由と理性を大切にする処にある。だから向うべきは、非戦・非武装であると思う。
2022年7月20日
宇宙文明フォーラム代表
牧 野 聖 修 |
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