Top Page







《外部リンク

⇒ 皇祖皇太神宮

⇒ 一般財団法人 人権財団




「転落途上国・日本」の現状と未来

日本後進国」化の決定打となったアベノミクス

[2023.5.15]




アベノミクス時代(=過去10年間)における主要国の一人あたりGDPの推移 (IMFデータベースより

「転落途上国」と呼ばれる日本


 日本の国際的影響力はどんどん低下している。

 日本のGDPは辛うじて世界第3位を維持しているが、30年前から500兆円台のままで、実質ゼロ成長状態が30年も続いていることになる。

 国民の真の豊かさを示す指標として使われる「一人あたりGDP」(GDPを人口で割ったもの)で見れば、日本は世界で30位と深刻化している。

 野口悠紀雄・一橋大学名誉教授は、「このままの経済成長率では、韓国や台湾に抜かれるどころか、マレーシアやインドネシア並みの数値になる」と述べている。

「一人あたりGDP」は、ここ20年間、世界の中で日本だけが低迷を続けている。

 2000年から2020年の間に、自国通貨建て一人あたり名目GDPは、日本では422万円から428万円へとほんの僅かしか増えなかったのに対して、米国では3万6317ドルから6万3415ドルへと倍近くも増えている。

 約20年前の2000年の時点における一人あたりGDPは、米国が3万6317ドル、日本が3万9172ドルであり、ほぼ同水準であった。

 しかしながら2020年における一人あたりGDPは、米国の6万3415ドルに対して日本は4万146ドルに過ぎず、日本は米国の約63%という有様である。

 かつて米国を凌駕する勢いであった日本の一人あたりGDPは、今や対米比6割の水準にまで落ち込んだ。

 日本の地盤沈下は、米国との比較だけではない。

 2000年から2020年の間に、日本の一人あたり名目GDPは僅か1.02倍にしかならなかったのに対し、韓国の値は2.56倍に伸びている。台湾はさらに上回っている。日本が停滞している一方で、韓国や台湾は着実に成長していたのである。

 日本はこれまで約60年間にわたり「先進国」の地位を守り続けてきたが、今やその座から転落しつつある。

 最近では現在の日本について、「先進国」から「後進国」に転落する途上の国として、「転落途上国」という言葉が流行している。

 かつて日本は、1970年頃から約30年間にわたり、一人あたりGDPにおいては、OECD諸国の平均よりも高い水準を維持してきた。

 OECD諸国の平均値を、「先進国の標準」を示す指標と考えれば、1970年から2000年の期間は、日本は先進国の中でも標準以上の地位にあったと言える。

 しかしながら、2000年から2020年の期間、とりわけ後半の2010年からの10年間において、日本の国際社会における相対的地位は急速に低下し続けてきた。

 この間に、日本はOECD諸国の平均レベルを下回るようになり、しかもその状況が今後改善される見込みも無い。

 今や日本は、先進国としての地位を失おうとしている状況にある。

 このことは、現在の日本が、歴史的な転換点に立っている事を意味している。

 約60年前、東海道新幹線を完成させ、東京オリンピックを開催した1964年に、日本はOECDへの加盟を承認された。当時の日本は、高度経済成長の只中にあり、先進国の仲間入りを果たす事が出来た。

 その後、ベトナム戦争の特需によってもたらされた岩戸景気やイザナギ景気を経て、日本は世界第2位の経済大国になり得た。

 それでもまだ、1973年の米国の一人あたりGDPは、日本の約1.7倍もあり、依然として当時の米国は、繁栄と豊かさの象徴であり続けていた。

 その後、日本は、80年代後半から90年代初頭のバブル景気時代に、一人あたりGDPにおいて僅かな期間だけ世界トップに君臨したが、1995年頃を境に凋落を始め、現在の日米の一人あたりGDPの格差は、70年代前半の日米格差とほぼ同じ水準にまて落ち込んだ。

 現在の米国の一人あたりGDPが、日本の約1.6倍であることを考えれば、今日の日本の国際的地位は、1970年代前半の状況に相当すると言ってよいだろう。

 今後の日米関係は、「対等な日米同盟」ではなく、1970年代当時の「対米従属」時代に回帰することは避けられない。

 このペースでいくと、やがて日本の一人あたりGDPは、OECDの平均値を大きく下回り、2030年頃には、OECD平均の半分程度の水準になってしまうと予想されている。

 これから約10年後には、日本は「先進国」を名乗る資格を失ってしまう事になる。

 これに対し、現在、韓国の一人あたりGDPはOECD平均に迫っている。また台湾は韓国をさらに上回っている。

 今後、日本は韓国や台湾よりも下の立場で、ますます差を開けられてゆくことは確実である。

 事実、OECDによる長期経済予測は、そうした未来図を描いている。

 仮にこれまでの成長率が将来も続くとすれば、20年後には、日本の一人あたり名目GDPが4万1143ドルなのに対して韓国は8万894ドルと、ほぼ日本の倍になるという。

 日本がOECD諸国との相対的な地位の低下を食い止めるためには、最低限、OECD諸国平均の成長率を実現しなければならないのであるが、現実には厳しい状況にある。

 2010年から2020年にかけての一人あたりGDPの増加率は、OECD平均が1.09倍なのに対して、日本は0.89倍に過ぎない。これでは永遠に追い付けないばかりか、先進諸国との格差が拡がる一方である。

 アベノミクスが失敗であった事は、このようにOECDのデータが如実に証明している。

 アベノミクス以前の時期には、日本の一人あたりGDPは米国とそれほどの差は無かったが、いまや倍近くまで差を開けられている。また、アベノミクス以前には日本が韓国を大きく上回っていたが、現在では韓国が日本を少し上回っている状態にある。

 一人あたりGDPに限れば、現在の日本は韓国にも台湾にも追い越された状態にある。

 実際、賃金面ではすでに韓国や台湾の方が日本よりも高くなっている。個々人の生活レベルでは、今や韓国人や台湾人の方が日本人よりも豊かになっているのである。

 OECD公表のデータは、アベノミクスの期間に、日本は「米国並み」から「韓国並み」の国に転落したという事実を物語っている。

 日本の財務省は、これまで不利な事実を隠蔽してデータ改竄を繰り返し、日本国民を騙し続けてきたが、虚偽のデータを元にして国家の再建など出来るわけがない。

 国民に嘘をつく国家は必ず亡びる。

 国民の真の経済力を示す指標である「一人あたりGDP」の世界順位が、1位から30位と、僅か20年間でここまで転落した国は日本が唯一である。

 今後日本は、現在の「韓国並みの国」から「中南米並みの国」へとさらに転落するであろう。しかもそう遠くない将来にである。



失われた「国際競争力」


 戦後の日本を牽引してきた「技術力」の分野も、今や見る影も無い。

 スイスのビジネススクールIMD(国際経営開発研究所)作成の『世界競争力年鑑』(2022年版、63の国と地域)によると、デジタル技術力順位は、韓国の8位に対して日本は27位、電子政府順位は韓国の2位に対して日本は14位、総合国家競争力順位は韓国の23位に対して日本は31位と、未来産業の競争力において日本は到底先進国とは呼べないレベルに低迷している。

 日本経済新聞は、
「日本は、中国がリードしている第5世代通信規格(5G)競争には参入できず、かつて特技だった半導体は米国・韓国・台湾に遅れをとった」
「日本は、電気自動車への転換がかなり遅れた上に、新再生エネルギー分野は欧州・中国との格差が大きく広がった」
と論じている。

『世界競争力年鑑』(2022年版)によると、日本の国際競争力順位は34位である。

 日本の地盤沈下と「失われた30年」を象徴的するのが、「国際競争力」の大転落である。

 日本は、1989年から1992年までは世界1位の座を維持していたが、1996年の4位を最後に2ケタ順位に低下し、2022年は過去最低の34位にまで下落した。

 2022年の「国際競争力トップ10」は下記の国々である。

 1.デンマーク
 2.スイス
 3.シンガポール
 4.スウェーデン
 5.香港
 6.オランダ
 7.台湾
 8.フィンランド
 9.ノルウェー
10.米国

 因みに、中国は17位、韓国は27位、マレーシアは32位、タイは33位と、これらの国々よりも日本は下位に位置している。

 日本の近代化の原動力であった「教育競争力」も下落している。文部科学省科学技術・学術政策研究所によると、日本の人口100万人当たり博士号取得者は、2008年の131人に対して2018年には120人へと減少している。この減り方自体は誤差の範囲内としても、100万人当たり博士号所持者が約400人の米国や英国、300人超のドイツや韓国などと比較すれば、同じ先進国とは呼べないレベルと言える。



「少子化」が問題なのではない


 今日の日本では、「少子化問題」があたかも国家にとって最大の問題であるかのように喧伝され、「このまま人口が減少すれば、GDPも減少して日本経済が低迷する」あるいは「人口が減少すれば税収も減少する」などと言われてきた。

 かくして与党のみならず野党までもが「少子化」を問題にして何らかの対策を立てようと躍起になっている。

 しかしながら、すでに述べたように真の豊かさの指標はあくまで「一人あたりGDP」であって、国全体のトータルではない。

 行政にとって本当に重要な課題とは、人口を増やす事ではなく、国民一人ひとりの真の豊かさを実現する事である。

「人口が減少すれば税収も減少する」という考えはもっともらしく聞こえるが、それならばむしろ国際競争力を高めた方が税収増に直結するはずである。

 ここで注目すべきは、上記に掲げた「国際競争力トップ10」の中で、米国以外が全て人口1000万人以下の小国であるという事実である。

 国際競争力が世界1位のデンマークの人口は580万人(国別人口の順位は世界114位)、国際競争力2位のスイスは人口880万人(99位)、3位のシンガポールは590万人(113位)である。

 このように、人口やマンパワーの要素は、今日の国際競争力において必ずしも重要な要件ではない事が分かる。

 かつて「産めよ増やせよ」と人口増加が奨励されたのは、「歩兵」主体の戦争形態が主流の時代の事であり、「兵力動員数」イコール「国力」と見做されていた頃の話である。また、当時の主力産業は「労働集約型」の近代的産業形態であり、「労働者数」イコール「産業力」の時代でもあった。

 そもそも国家による人口増加政策の推進は、国家による人口抑制政策と同様、社会主義的で「非人道的」な行為と言わざるを得ない。

 話を戻すと、AIやITの要素が国際競争力において必須要件となっている現代においては、むしろ人口が少ない国々の方が競争力が優っているという事実は重要である。

 これは、世界の主力産業の形態が、近代産業の「労働集約型」から未来産業の「知識集約型」へと移行を遂げた事の反映でもある。

 日本は明らかにこの流れに乗り遅れてしまった。

 国際競争力がトップだった時代の成功体験が忘れられず、かつての成功パターンにしがみ続けてきた結果が、今日の日本の凋落ぶりである。

 歴史的に見ると、1950年代は繊維、60年代は造船、70年代は鉄鋼、80年代は自動車が、それぞれの時代の基幹産業として日本の産業全体を牽引するという成功モデルが存在した。

 しかしながら、80年代のトヨタを最後に産業牽引役の企業が出て来なくなった。

 90年代以降、中国企業や韓国企業、台湾企業等の台頭により、日本の「労働集約型」の企業は軒並み国際競争力が失われた。

 今から思えばその際に、「労働集約型」の企業が自由競争の原理で淘汰された方が、後々の日本経済発展の為には良かったのである。

 本来ならば、「知識集約型」の未来産業分野の育成に向け、官民共同で技術開発を行い、革新的企業に金融支援を行って新産業の成長を助けるべきであった。その為には、既得権益化した「労働集約型」の企業を速やかに解体・再編する必要があったのである。

 そうすれば、現在の世界を牽引するGAFA(Google,Amazon,Facebook,Apple)に対抗できるような世界的企業が日本から生まれる可能性はあったはずである。

 しかしながら日本政府は、この歴史的転換期において傍観者に徹し、無駄に20年を浪費してしまった。

 そして、日本再生の最後のチャンスでもあったアベノミクスは、「成長戦略」と称して金融緩和と財政バラマキを行ったものの、既得権益化した「労働集約型」の大企業ばかりを延命させる為にのみ財政出動を続けた。その挙げ句、本来ならば再編されるべき旧態依然の大企業が無駄に存続し、結果として未来産業の成長が阻害されてしまうという、「圧倒的に失われた8年」で終わった。

 結局、政府に近い企業群が儲かる仕組みだけが残り、非正規の労働者が大量に世の中に溢れる状況になってしまった。

 かくしてアベノミクスは、日本が「後進国」へと向かうレールを完成させるという歴史的な役割を果たしたのであった。



やがて「東アジアの最貧国」に


 日本の政府債務の問題は、さらに深刻である。

 日本国債の発行残高は2023年現在、約1270兆円に上る。日本のGDPは約550兆円であるため、日本全体で2年間かけて稼いでも足りない金額の借入れがあることになる。

 さらに債務残高は年々増加しており、GDPに対する政府債務残高の比率は、日本の未来が決して明るいものではない事を示している。

 2022年の「政府総債務残高」の対GDP比率の世界の国別順位の1位は日本の261%、2位はギリシャの177%、3位はエリトリアの163%、4位はベネズエラの157%である。

 このように、あらゆる「後進国」や「財政破綻国家」を差し置いて、日本は断トツで世界最悪の政府債務比率となっている。

 因みに、政府総債務から政府が保有する金融資産(年金積立や外貨準備など)を差し引いた「政府純債務残高」の対GDP比率の世界ランキングでは、1位が日本の162%、2位はイタリアの132%、3位は中南米のバルバドスの119%、4位はアフリカのカーボヴェルデの116%である。

「総債務」のみならず「純債務」さえも、日本は全世界で最悪の債務比率となっているのである。

 元財務官僚の高橋洋一氏などは、「日本は国有資産が多いから、日本政府はいくら借金をしても大丈夫」などと吹聴していたが、このデータを見る限り、全然大丈夫ではない事が分かるであろう。「純債務」でも日本は世界1位なのである。

 また最近では、「国債残高はいくら増えても問題ない」あるいは「国の借金は返さなくても良い」などと詭弁を弄する似非学者やそれに便乗する似非政治家達が跳梁跋扈し、多くの国民を惑わせている。

 そうした人々は、まずは通貨が「信用」によって成立しているという財政の大原則から学び直すべきであろう。

 やがて日本が「後進国」に転落した場合、日本の通貨は国際金融市場で信用を失い、叩き売られることになる。

 通貨や債権は、現物など無くても、金融市場において「先物」として取引されているのである。

 外資系ファンドなどは、日本国債の現物など持っていなくても、国際金融市場において日本国債の「先物」を売り浴びせて大儲けが出来る。日本国債はたちまち大暴落し、金利は際限なく跳ね上がり、制御不能となる。

 日本銀行の信用度が「後進国」の中央銀行と同レベルになった暁には、間違いなくハイパーインフレーションが発生する。

 日本が「先進国」である限りにおいてのみ、「円」という通貨が国際金融市場の中で信用されてきただけなのである。

 因みに、「国債残高はいくら増えても問題ない」などの妄想を主張する人々の背後には、日本弱体化を目的とする外敵勢力の存在が垣間見える。

 外敵勢力の情報操作に簡単に引っ掛かる頭の弱い人々の多くは、やたら正義感と使命感だけは強い為、積極的に国を滅ぼす行為をしてしまうのである。

「地獄への道は善意で舗装されている」とはこの事である。

 他にも、日本には乗り越えられない数多くの壁が立ちはだかっている。

 資源・食料自給力の絶対不足によるエネルギー・食糧の輸入依存体質、社会保障コストの肥大化、財務省主導によるエンドレスの増税路線、実質賃金の低下、基礎研究・研究開発への投資資金不足、優秀な頭脳や技術の海外流出、その他、挙げればキリがないが、この30年間でこれらの「壁」はますます高く強固になってしまっている。

「後進国」に転落した将来の日本の姿は、想像以上に悲惨である。

 通貨は紙屑。資源も無い。食糧も無い。頭脳も技術も何も無い。

 これでは、日本国中に貧困と飢餓と犯罪が蔓延し、日本が「東アジアの最貧国」となる日も遠くないであろう。

「今日の日本は清朝末期に似ており、何もしないまま衰退し、国家崩壊に向かっている」と主張する識者もいる。

 しかしながら、清朝末期に中国人が何もしなかったのではなく、実際には革新官僚を中心として様々な改革運動が試みられたのであったが、それら全てが失敗に終わったというのが事実である。

 現在の日本も同様で、「小泉改革」や「アベノミクス」など様々な改革が実践されたが悉く失敗し、国家が衰退の一途を辿っている状況にあると言えよう。

 ただし、日本の「後進国」化を食い止める可能性は、僅かではあるが残されている。

 日本にとって最大の問題は、政治家や官僚も含め、国民一人ひとりが、「日本が後進国に転落しつつある」という現実を十分に自覚していない事であろう。

 現実を正確に認識出来なければ、適切な対策も処方箋も立てられないのは当然である。

 政府が発信する「大本営発表」のような偽情報ではなく、正確な事実の情報を元にして、正しい日本再生の方法論を考えてゆくことが必要である。















(C)宇宙文明フォーラム All Rights Reserved.