Top Page
《外部リンク》
⇒ 皇祖皇太神宮
⇒ 一般財団法人 人権財団
|
国際社会のルールが転換する2025年
第3次世界大戦を回避する代償とは
[2024.11.22]
|
勝利演説をするトランプ次期米大統領 (11月5日、米フロリダ州にて) |
PHOTO (C) REUTERS |
「力による原状変更」を認めるルールへの転換
11月5日の米大統領選挙で、ドナルド・トランプ氏が米国次期大統領として返り咲いた。
世界中の多くの人々は、これでウクライナ戦争の停戦が実現し、中東の混乱が収束に向かうものと期待している。
ただし一方でその事は、中国による台湾侵攻の可能性が高まる事をも意味している。
1990年の湾岸危機以降、米国は世界中の全ての国々に対し、「力による一方的な原状変更は認めない」というルールを守らせ、それに違反する国には容赦せず武力を以て制裁し、原状を回復させるという新世界秩序を作り上げてきた。
しかしながら、湾岸危機から35年を経た2025年、当の米国自身の手によって、その新世界秩序のルールが根本的に変更されることになりそうである。
2期目のトランプ政権によってウクライナ戦争の停戦が実現されるならば、現時点におけるロシア軍によるウクライナの占領地は、そのままロシア領に編入される事が予想される。
これでは、他国を先制攻撃して占領の既成事実さえ作れば、いくらでも領土の拡大が認められることになる。
つまり、「やった者勝ち」の世界への逆行である。
ウクライナ停戦は望ましい事であるが、果たしてそれで良いのか、という問題がある。
現に、中国は虎視眈々と台湾の武力占領を狙っているところである。
だが新世界秩序のルール自体は、2014年のロシアによるクリミア併合によってすでに変更されていた事であった。
2013年に当時のオバマ米大統領が「米国は世界の警察官を辞める」と宣言した直後、ロシア軍はウクライナ領であったクリミアに侵攻し、クリミアはそのままロシア領に編入された。
米国はその際にロシアへの経済制裁をしただけで、軍事的には何も行動しなかった。事実上、ロシアによるクリミア併合を容認した事になる。
即ち、米国が「世界の警察官」を辞任した時点で、新世界秩序は終焉していたのである。
現に、その頃から中国も南沙諸島占領をはじめ、フィリピン領などを公然と侵略し続けている。
すでに10年前から、この世界は「力による一方的な原状変更に対して武力制裁はしない」というルールへと変更されていたのだった。
事実、2022年以来のウクライナ戦争において、ウクライナの為に共にロシアと戦おうとする国は、世界に1つも存在しない。
1991年の湾岸戦争の際、イラクに不法占領されたクウェートを助ける為に、西側諸国が多国籍軍を形成し、イラクを武力攻撃してクウェートを解放した時とは大違いである。
この10年の間に、世界秩序のルールが根本的に転換したという事実を知らなければならない。
第2次トランプ政権によってウクライナ戦争が停戦されたならば、それは「世界秩序のルール変更の追認」を意味する。
必然的にその後は、中国軍による台湾侵攻の戦争リスクが大幅に高まることになる。
因みに中国による台湾侵攻の可能性について、トランプ氏は選挙期間中の10月10日、デトロイト経済クラブでの講演で次のように述べていた。
「私は習近平国家主席と強い関係にある。もし台湾に侵攻したら、関税を150~200%へ上げると言ってある」
「台湾海上封鎖を阻止するために、米国は武力行使する必要などない」
「習近平氏は私を尊敬している。しかもそうした状況(台湾武力侵攻)になれば、私がクレージーになるのをよく知っている」
選挙期間中の大言壮語という点を割引いたとしても、基本的にトランプ氏は習近平を格下に見ており、自分が脅せば習近平が台湾に侵攻する事は無いと思っているようである。
一般に「トランプは人権に無関心」と思われがちであるが、実はトランプ氏は、中国当局による香港やウイグルにおける人権弾圧については、以前から強く批判している。
経済的にも軍事的にも米国を凌駕しつつある中国を、このまま放置しておくわけにはいかないという危機感は、トランプ氏も強く抱いている。
大統領選挙が終わった翌週の11月11日、トランプ次期大統領は、対中強硬派として知られる保守本流のマルコ・ルビオ上院議員(フロリダ州選出・53歳)を、新政権の国務長官に内定した。
ルビオ氏は、2022年に米連邦議会で成立した「ウイグル強制労働防止法」の制定にあたった中心人物である。
「ウイグル強制労働防止法」とは、中国の新疆ウイグル自治区で生産された商品やサービスが強制労働によって製造された疑いがある場合に、米国への輸入を禁止する法律である。
そうした経緯から、中国政府はルビオ氏に対し、入国禁止の制裁を課している。
このように中国から入国禁止制裁を受けている人物を、トランプ次期大統領がわざわざ米国の国務長官に任命するという事は、明確な対中強硬姿勢の表明であり、中国に対する外交圧力に他ならない。
ルビオ氏は、上院情報特別委員会や外交委員会のメンバーを長年務め、共和党でも外交国防問題の重鎮である。
なおルビオ氏は、トランプ氏とは異なり、北大西洋条約機構(NATO)との関係強化や、日韓との同盟関係の強化を主張している。これは共和党の本来の外交スタンスでもある。
トランプ氏は、外交通であるルビオ氏の起用によって、共和党の保守本流の伝統的な路線を継承する立場を明確にしたと言える。
トランプ側近筋によると、トランプ氏は11月11日午前の段階では、国務長官には親トランプのリチャード・グレネル元国家情報長官代行に決めていたようである。しかし午後になってルビオ氏に差し替えたという。
トランプ氏のイエスマンであるグレネル氏よりも、共和党内の反トランプ派であったルビオ氏を「トランプ外交の顔」にする事によって、トランプ氏は「挙党一致体制」を目指すと同時に、新政権が「反中国」であるという立場を明確に示したのである。
またホワイトハウスの国家安全保障担当補佐官には、反中国派で知られるマイケル・ウォルツ下院議員(フロリダ州選出・50歳)を任命する方針である。
外交・安全保障の主要ポストに反中国派のルビオ氏とウォルツ氏が選任されることにより、トランプ新政権においては、対中強硬路線が本格化するものと予測される。
このように今回の閣僚人事は、前政権時の唯我独尊的な「トランプ人事」とは全く異なり、本格的に反中国外交に取り組もうとする新政権の国家戦略が見て取れる。
約半世紀前の冷戦時代、米ソの2大超大国が対立して東西陣営に分かれていた時期、米国は中ソ関係を分断して中国を味方に取り込み、ソ連を孤立させ封じ込めることにより、最終的に冷戦に勝利した。
そして今日では、中国が米国にとって主要な敵である為、トランプ氏は、ロシアと和解して中露関係を分断し、中国を孤立させ封じ込めるべきとする世界戦略を構想している。
これは、1971年のニクソン・キッシンジャー外交の逆パターンである。
かつてニクソン大統領が中華民国(台湾)を見捨てて共産中国との国交を正常化したように、政権2期目のトランプ新大統領は、ロシアを味方に付ける為にウクライナを見捨て、ロシアにとって有利な形でウクライナ戦争の仲介に入り、「即時停戦」を実現しようとしている。
現在の米国にとって真の敵は中国であって、ロシアはもはや脅威でもなければ敵でもないのである。
対立が激化する米中
トランプ次期米大統領は、中国からの輸入品全てに関税をかける事や、その関税率も60%~100%という高水準になる事などを公約している。
トランプ新政権がその発言内容を実行に移せば、米中関係の対立は決定的となり、現在低迷している中国経済は致命的な打撃を被ることになる。
米国超党派の連邦予算責任委員会が今年4月に出したレポートによれば、トランプ氏の主張する対中関税が実行されたならば、中国製品の輸入量は85%減少するという。
仮にトランプ政権が対中関税を60%に引き上げれば、中国の年間の経済成長率の大半が喪失されることになる。
米国によるこうした措置は、かつて昭和16年にルーズベルト政権が対日資産凍結や日本への石油禁輸措置を強行した事に匹敵する重大な意味を持つ。
謂わば宣戦布告に等しい外交政策である。
さらに2期目のトランプ政権は、米国が主導する銀行決済システムSWIFT(国際銀行間通信協会)から中国を締め出す事も予定されている。
この事は、西側経済圏からの中国の完全排除を意味する。
かくして中国経済は、1970年代の改革開放政策以前の状態にまで後退することになる。
こうしてもたらされる中国人民の貧困や生活苦は、中国社会をさらに不安定にさせ、中国国内での無差別殺人などの犯罪事件をより一層頻発させることになるだろう。
なおこれが民主的体制の国家であれば、選挙によって政権交代となる状況であるが、個人独裁の習近平体制においては、人民の不満や怒りを外に向けさせ、人民を団結させようとする方向へと向かうことになる。
そうして中国軍による台湾侵攻は、いよいよ秒読み段階となる。
中国がトランプ新政権から受ける圧力は経済分野だけではない。
トランプ次期大統領は、ウクライナ戦争を停戦させた上で、全軍事力を対中国に向ける予定である。
トランプ氏は大統領選前に、「自分が大統領ならウクライナ戦争を1日で終わらせることが出来る」と主張していた。
トランプ氏が2期目の大統領に就任すれば、ウクライナ戦争が停戦に向けて大きく動くことは間違いない。
トランプ氏としては、早急に米国がウクライナ支援から手を引き、その分の軍事力をインド太平洋地域に注ぎたいと考えている。
選挙期間中、トランプ氏が何度もウクライナ戦争を終わらせるべきだと訴えてきたのも、「米国にとって真の脅威はロシアではなく中国である」というトランプ氏の戦略に基づいたものである。
ウクライナ戦争の期間中、中露関係は以前にも増して親密化しているが、トランプ新政権は中露の分断を図る戦略を展開するだろう。
もしウクライナ戦争が停戦になれば、その後は米中対立が本格的に尖鋭化し、台湾をめぐる戦争リスクが圧倒的に高まることになる。
習近平は、トランプの対台湾政策を非常に警戒している。
とりわけ中国が懸念している事態は、トランプ新政権が、台湾を独立した国家として国際社会に承認させる後押しをすることである。
米台の接近は、第1次トランプ政権から本格化していた。
2016年に台湾の蔡英文氏が総統に選出された時、トランプ氏は蔡英文総統に電話して「President」と呼び掛けた。
この事は習近平を激怒させた。Presidentは、一国の元首を意味するからである。
しかも現在の台湾の総統は、蔡英文氏よりも強硬な独立派の頼清徳氏である。
頼清徳総統は「新二国論」や「祖国論」を打ち出し、台湾の国際社会における国家としての認証を強く求めている。
最近の中国軍は、台湾侵攻の模擬演習とも言うべき軍事演習を繰り返して頼清徳政権を恫喝しているが、骨の髄から独立派の頼清徳総統がそのようなものに屈するはずがない。
むしろ頼清徳総統は、中国の台湾侵攻を契機に、台湾の完全独立を目指しているようでもある。
中国軍と台湾軍との戦闘が発生すれば、それはそのまま台湾にとって「独立戦争」になり得るのである。
そうした頼清徳総統は、米国からの武器購入にも非常に積極的であり、「中国に対する戦争準備と国防強化こそが最大の戦争回避の手段である」と主張している。
あらゆる事を「ディール(取引)」として考える合理主義者のトランプ氏にとっては、米国の利益になる頼清徳総統は、ディールの相手として申し分の無い人物と言える。
たとえ狂信者であろうと、理想主義者であろうと、米国に利益をもたらしてくれる人物であれば、取引相手として大切にするのが、トランプ氏の基本スタンスである。
そうした台湾の頼清徳政権を米国のトランプ新政権が支援すれば、台湾の国家としての完全独立は現実味を帯びてくる。
また米国の軍産複合体は、もしウクライナ戦争が終結するのであれば、その後は、大量の武器をウクライナの代わりに台湾向けに供給したいと望んでいる。
これまで米国議会が承認したウクライナへの資金援助は総額で約1130億ドル(約16兆8千億円)に上る。
利益第一主義の軍産複合体が、この「金づる」を簡単に手放すはずがない。
軍産複合体が、トランプ氏を「武器のセールスマン」として上手に利用するならば、結果として米台関係は強固に結ばれることになる。
ウクライナ戦争の停戦の代償とは
一方、西側諸国の多くの一般市民は、ウクライナ戦争が第3次世界大戦に拡大してしまう事を恐れている。
すでにEU諸国は、この戦争によって多大な不利益を被っている。
天然ガスをはじめ、ロシアからのエネルギー供給が断たれた事による経済的打撃は大きく、EU諸国の経済は衰退し、財政赤字も増大している。
すでに西側諸国は、ウクライナに対して20兆円以上の支援を行っているにも関わらず、戦況は公転することなく、悪化する一方である。
2024年5月に実施されたEU議会選挙、7月のフランス国民議会選挙、英国の下院議会選挙、ドイツの州議会選挙などにおいて、ウクライナ支持派の現政権はいずれも大敗した。
11月の米国大統領選挙はその集大成でもあり、ウクライナに対して軍事支援を続ける米民主党政権の強硬な外交路線が完全に拒否された結果に終わった。
SNSなどの普及により、ウクライナがその軍事力と領土を失っているという事実を、政府の息がかかった大手メディアも、国民に隠すことが出来なくなっているのである。
こうした要因が、今年の西側諸国の選挙結果に結び付いた面は大きい。
現在、ロシアは北朝鮮との軍事同盟を一層強化し、北朝鮮からの援兵部隊を増強している。
これに対しウクライナのゼレンスキーは、長距離ミサイル(ATACMS)の使用を、米バイデン政権に認めさせた。
だが両国のこれらの動きは、戦争拡大目的というよりは、むしろ米次期政権による来たるべき停戦交渉において取引を有利に運ぶ為のカードを増やす行動とも見られる。
当事者であるロシアもウクライナも、すでに3年近くに及ぶ戦闘状態に疲弊し切っており、両者ともに第三者による調停を望んでいる状況にある。
またこれ以上戦争が長引いた場合には、国内経済が破綻し、自らの地位すら脅かされるという危機感を、プーチンもゼレンスキーも抱いているはずである。
ただしその停戦交渉の際に、ウクライナ側があくまでも「固有領土の原状回復」という原則を貫こうとするならば、停戦は永久に実現しないであろう。
ウクライナはすでに国土の5分の1をロシアに支配され、それらを奪還する手段が尽きている状態にある。
こうした現実の前には、原則論や理想論をいくら唱えても無意味である。
一方、МAGA(Make America Great Again)を唱えるトランプ氏としては、如何なる手段を用いても、ウクライナ戦争を早期に終結させ、米国の力と威信を全世界に示したいところである。
米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」によれば、トランプ氏は即時停戦案として、ウクライナにおけるロシアの占領地域は現状のまま維持し、ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)への加盟に向けた動きを停止することを推奨している。
ウクライナ政府がNATOに少なくとも20年間は加盟しないと約束する見返りに、将来的なロシアの再攻撃に対する抑止力を高めるため、米政府がウクライナへの兵器供給を続ける案も浮上しているという。
さらに、1953年の朝鮮戦争停戦時の際に取り決められた38度線のように、ロシアとウクライナとの間に新たな「軍事境界線」を設定し、さらにそこに1300キロメートルにわたる「非武装地帯」を置く、という案も存在する。
だがこうした停戦案は、事実上の「ウクライナ降伏案」に他ならない。
それは、ゼレンスキーにとっては絶対に受け入れ難い内容である。
ゼレンスキーにとっては、あくまでドンバスやクリミア地域などは「ウクライナ固有の領土」である。
それらを放棄するのであれば、これまで3年間もの間、犠牲を払いながら戦ってきた意味が全て失われてしまう。
ゼレンスキーの立場としては、10年前の2014年にロシアに取られたクリミアまで奪還しなければ、戦争を終えるわけにはいかないのである。
ゼレンスキーのプランでは、固有領土の完全奪回の為には、モスクワへの直接攻撃をも含めた全面的攻撃が考えられている。
もしゼレンスキーの勝利プランを貫徹するとすれば、NATOを巻き込む形での全面戦争に発展せざるを得ない。
そしてそれは、第3次世界大戦を意味する。
すでに戦火の只中にあるゼレンスキーは、「第3次世界大戦も辞さず」との決意を固めているであろうが、他の西側諸国は決してそんな事は望んでいない。
ウクライナ戦争が第3次世界大戦に発展するかどうかの命運が懸かっている以上、この停戦交渉は、世界にとって最大の重要問題となる。
万一、第3次世界大戦に発展すれば、混乱に乗じて中国は必ず台湾に侵攻する。
ウクライナ戦争の停戦交渉は、ある意味では米国にとっての戦争でもある。
第3次世界大戦への戦争拡大を回避する為には、ウクライナの領土割譲も含めたロシアへの「降伏」という形で、停戦に持ち込む以外にはないのである。
その代わり、停戦成立後は、西側諸国はウクライナに対して、大規模な復興支援と経済支援を行うことになるだろう。
ただし問題は、それ以降の世界である。
第3次世界大戦を回避した代償として、その後の国際社会は「やった者勝ち」のルールが定着し、再び「弱肉強食」「優勝劣敗」の生存競争の原理が、来たるべき世界の倫理規範となる。
かくして国際秩序のルールは、100年以上も昔の状態へと後退することになる。
またウクライナ停戦によって、ロシアの国境線は、確実に数百キロメートル西方に移動することになる。
そしてヨーロッパは、再びロシアという脅威に対して、自らの力で守り抜くしかなくなるのである。
しかも今度は米国の力を借りることなく、それを実行しなければならなくなる。
今から数十年後になって、「あのウクライナ戦争の時に、もっと本気でウクライナを援けて、ロシアの息の根を止めておくべきだった」と、西側諸国の人々が後悔する結果になる事は目に見えている。
また一方、極東においては、中国が台湾に対して、何の遠慮もなく武力侵攻が実行出来るようになる。
国際社会が「やった者勝ち」というルールへと変更された事によって、中国による台湾侵略に際して、西側諸国が中国を非難する正当な根拠は完全に失われてしまったのである。
かりに他国を侵略したとしても、「やった者勝ち」のルールの世界で、非難される謂われはない、ということになる。
ウクライナ戦争の停戦と、第3次世界大戦の回避が望ましい事であるのは間違いない。
だが、それによりもたらされる代償は、さらに深刻な事態である。
以上見てきたように、「国家」を主体者として世界を形成している限り、不条理の連鎖は永久に続き、終わる事は無い。
仏教で言う「無間地獄」の世界である。
だが現代社会は、世界中の人々が国家の枠組みを超えて、ネット上で自由に結び付いている社会でもある。
17世紀、「万人の万人による闘争」を回避する為に主権国家の暴力が正当化されたホッブズの時代の世界とは全く異なるのである。
そろそろ、「国家」ではなく「人間」を中心として世界を再編成する時代が到来している事を知るべきであろう。
「報復社会」が流行語となった中国社会
中国では今年に入ってから、無差別襲撃事件が相次いでいる。
2月には山東省で起きた刃物と銃による無差別殺傷事件があり、この事件では少なくとも21人が殺害された。
9月末には、上海のウォルマートで3人が死亡、複数が負傷する事件が起きた。
10月には北京の有名小学校近くで刃物による襲撃事件があり、5人が負傷した。
11月11日には、広東省珠海の体育施設で62歳の男が車を暴走させ、35人が死亡するという凄惨な事件が起きた。犯人は、離婚に際しての財産分与に不満があったという。
さらに同月16日、江蘇省の学校内では21歳の男が刃物で人々を次々と切りつけ8人が死亡、17人が負傷した。犯人は、事件があった職業技術学校の元学生で、試験に不合格で卒業証書をもらえなかった事と、実習先の報酬に不満があり事件を起こしたという。
中国で相次ぐ無差別殺傷事件の背景には、一体何があるのか。
最大の要因は、中国社会における価値観の急激な変化である。
改革開放路線の1978年から2010年代までの約40年間は、好調だった経済発展によって、中国共産党政権は人民から支持されてきた。
また中国人民は、より良い生活が送れるのであれば、当局によるある程度の統制や締め付けなどは許容出来たのであった。
だが、2012年に毛沢東信者である習近平が最高権力者になって以降、鄧小平以来続けられてきた改革開放路線は完全否定され、資本主義的な体制が次々と破壊されるようになり、その結果、2020年代に入ると経済成長はストップした。
現在の中国は、経済の低迷が続き、失業率が高止まりし、社会全体に閉塞感が蔓延している。
今や明日の生活にも困窮する人々が溢れ返るようになった。
当然、中国人民の多くは、そうした価値観の急激な変化にはついて行けない。
社会の価値観が大きく変わる時には、社会規範が失われ、犯罪が多発することになる。
今や中国社会そのものが犯罪の温床と化している。
最近、中国のSNS上では「報復社会」というワードが大流行している。
「報復社会」とは、中国語で「社会への報復」を意味し、個人的な不満を抱える人が赤の他人を攻撃することで恨みを晴らそうとする行動をいう。
そしてSNS上では、最近相次ぐ無差別殺傷事件は「報復社会」によるものだと論じられている。
因みに、これらの無差別殺傷事件の犯人達は、誰一人として犯行動機が「社会への報復」とは言っていないし、政治的主張も見られない。
実態は、いずれも「形を変えた自殺」に他ならず、米国でも日本でもそうした事件はいくらでもある。
だが、実際の犯行動機が「社会への報復」でなかったとしても、中国の多くの人々が、相次ぐ無差別殺傷事件の要因を「社会への報復」であると解釈している事こそが重要なのである。
中国国内で「報復社会」という言葉が流行する背景には、すでに多くの人々が、現在の中国社会や共産党体制にそもそもの原因があるという問題意識を有している事を示している。
中国の多くの若者が利用しているSNSのメッセージアプリ「微信(ウィーチャット)」では、「働けるのか不安な人が大勢いて、生きていくだけでも大変だという人が大勢いるなら、社会に問題や敵意や恐怖が溢れるのは、当然の事だ」との投稿があり、また別の投稿では、「これほど多くの弱者への無差別襲撃を助長してきた根深い社会的要因を検証すべきだ」と書かれていたという。
このように一般の中国人民の多くは、現体制に大きな問題があると感じており、またその事は、多くの人々がすでに共産党や中国当局を見限っている事を意味する。
しかも他の誰よりも「中国社会や共産党体制に問題がある」と考えているのは、他ならぬ中国共産党指導部そのものである。
中国当局が情報統制に神経を尖らせているのは、事件を大きく伝えることで、人民の批判の矛先が共産党政権に向かうことに危機感を抱いているからに他ならない。
事実、中国の公的メディアは、広東省珠海の車暴走による無差別殺傷事件を、翌日になるまで報道しなかった。
中国国営放送・中国中央電視台(CCTV)は、当日の放送で事件には全く触れなかった。報道内容は習氏が予定している南アフリカ訪問や、珠海での航空ショーの話が中心だった。
それに対しSNSなどネット上では、事件直後から無差別殺傷事件の詳細について広く拡散され、被害者の動向についてまで報じられていた。
またSNS上では、「事件発生から10時間が経っても、死傷者数の発表も警察からの声明も無かった」等々、事件発生後に十分な情報が得られなかった事に対する当局への批判も相次いだ。
他のユーザー達も、当局が死者35人と発表するのに24時間もかかったことを指摘している。
今や中国の一般人民は、公的なマスメディアなど一切信用しておらず、SNSなどネット上の情報に信頼を置いている。
車暴走による無差別殺傷事件が起きた珠海で、同時期に開催された人民解放軍の軍事航空ショーの方が主要メディアで大々的に報道された事を、SNS上では多くの人が非難している。
「権力者にとっては、飛行機の方が人命よりも重要なのか」と、当局を揶揄する投稿もあった。
中国当局は、相次ぐ無差別殺傷事件を受けて、住民を管理する党の末端組織に対して、「犯罪を起こしそうな人物」を洗い出すように指示したという。
犯罪事件に対するこのような対応は、まさに中国共産党の前近代的で反知性的な本性を現している。
本来、近代刑法では「推定無罪」が大原則である。
然るに、当局が「犯罪を起こしそうな人物」を洗い出すようになれば、冤罪が大量に増産されるだけの非文明的な社会になるだけである。
こうした当局の対応について、中国のネット上では匿名で「力による押さえ込みは対症療法に過ぎず、問題の根本解決にはならない」との指摘が書き込まれている。
ネット上の匿名投稿者の方が、共産党指導部よりも政治をよく理解しているようである。
1989年の天安門事件以降、当局による言論統制が厳しくなり、共産党批判や体制批判など到底出来ない時代が長く続いた。
だがそれから35年も経った現在では、天安門事件すら知らない若者世代を中心に、多くの人々が、中国社会や共産党体制の問題をSNS上で公然と批判するようになっている。
中国当局はそれらの自由な言論を弾圧しようとするが、ネット上の言論統制は困難で限界がある。かりにアカウントを停止しても、また別の形で言論が拡散されてゆくからである。
21世紀は、ネット上のバーチャル世界がリアル世界を凌駕する時代である。
即ち「人間」中心の世界が、「国家」中心の世界に取って代わり、世界の在り方そのものが再編されてゆく時代なのである。
|
|
|