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失われたイスラエル十支族と古代日本

日本とユダヤとの共通点

[2022.6.15]




(左) 伊勢神宮の石灯籠  (右) 籠神社の奥の院「真名井神社」の石碑

日本の神事とユダヤ教の祭


 日本の神事とユダヤ教の祭には共通点が多い。

 ユダヤ教の宗教的行事で新年を祝う祭が「過越(すぎこし)祭」である。過越祭(ペサハ)は、ユダヤ教の最大かつ最古の祭りで、エジプト人の奴隷であったユダヤ人の先祖が、モーゼに率いられてエジプトを脱出した際,神はエジプト中の初子(ういご)を殺したが,小羊の血を入口に塗ったヘブライ人の家だけは過ぎ越したという故事に由来する。

 この過越祭の日だけはいつもと食べる物が違っており、普段は種(イースト菌)で膨らませたパンを食べるのだが、過越祭の日に限っては「種なしのパン(マッツォ)」を食べる。この「種なしパン」は日本の「餅」に酷似している。米の代わりに小麦を用いているだけで、日本の餅とほとんど変わらない。

 そして過越祭では、丸く平らな「種なしパン」を祭壇の両脇に重ねて供える。これは日本の正月に供えられる「鏡餅」そのものと言ってよい。

 また日本の神社に必ずある「鳥居」は、古代ヘブライの建物の玄関口と同じ構造をしている。「トリイ」は、ヘブライ語アラム方言で「門」という意味である。

 過越しの日について、「出エジプト記」では「モーゼは、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、“殺戮の天使”が静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示した」とあるが、これが日本の鳥居のルーツであり、年越しのルーツであると考えられる。

 さらに古代ヘブライの神殿は 「幕屋」と呼ばれる移動式であったが、その構造は日本の神社と酷似している。

 ユダヤ教の幕屋は、周囲を幕や板で囲まれ、中で神に捧げる祭祀を行い、祭祀は極秘とされた。幕屋の中の構造は、基本的には聖所・至聖所・拝殿に分かれ、祭壇には明かりをともす常夜灯があり、脇には手を洗う水盤があった。また古代ソロモン神殿の前には、ライオンの像と賽銭を入れる箱が置かれていた。同様に日本の神社にも常夜灯や手水場があり、祭壇前には狛犬の像や賽銭箱がある。

 また、日本の神社の多くには「神輿(みこし)」が奉納されているが、ユダヤの秘宝とされる 「契約の聖櫃(アーク)」と酷似している。

「契約の聖櫃」とは、モーゼが神から授かった「十戒石板」を保管するための箱である。しかしながら現在に至るまで行方不明であり、「失われたアーク伝説」として広く知られている。

 因みに『旧約聖書』の「出エジプト記」には「契約の聖櫃」の作り方が克明に記されており、それは日本の「神輿」そのものである。

「契約の聖櫃」の上部には2人の天使(ケルビム)の像が羽を広げて向き合っているが、日本の「神輿」の上にも同様に鳳凰(ほうおう)と言われる鳥が作られており羽を広げている。

 また、「契約の聖櫃」の下部には2本の棒が貫通しており、移動するときにはレビ族が肩に担ぎ、鐘や太鼓を鳴らして騒ぎ立てる。しかも、担ぐための2本の棒は絶対にアークから抜いてはならないとされる。こうした部分も日本の神輿と変わらない。

 因みにユダヤの「シオン祭り」は7月17日に行われるが、これはノアが「方舟」で大洪水を乗り越えた事を祝う祭りで、『旧約聖書』で「大洪水」が終わった日が7月17日とされている事に由来する。

 一方、京都の「祇園(ぎおん)祭り」は「シオン祭り」と時期が同じであり、祇園祭りに登場する「山車(だし)」は、「ノアの方舟」を象徴していると主張する研究家もいる。また「ギオン(GION)」は「シオン(ZION)」が語源であるとも言われている。

 他にも、日本とユダヤには水や塩で身を清める「禊(みそぎ)」の習慣がある。 日本人は神社で参拝前に手水場で手を洗う。ユダヤ人は、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)の入口で手を洗う習慣がある。

 また、生後30日目に赤ん坊を神社に初詣をさせる習慣は、日本とユダヤにしか見られないものである。

 このように、ユダヤ教の祭りと日本の神事には共通項が多い。


秦氏と古代日本


 日本最大の神社で天皇家の宗廟でもある「伊勢神宮」の内宮から外宮に至る道路(御幸通り)の両側に並ぶ石灯籠(約700基)には、六芒星が刻み込まれている。石灯籠は大小様々であるが、どの石灯籠にも「菊花御紋章」と「六芒星」が刻み込まれている(上記写真参照)。

 六芒星は「ダビデの星(ダビデ王の紋章)」と言われ、歴史的にユダヤ人の象徴として用いられ、現在のイスラエル共和国の国旗にも描かれている。

 また丹後国一宮「籠(この)神社」は、伊勢神宮のルーツ(元伊勢)であるが、籠神社の奥の院「真名井神社」の石碑には、裏家紋として六芒星が刻まれている(上記写真参照)。

 一方、エルサレム神殿の門には、日本の天皇家と同じ「16弁の菊花紋章」が刻み込まれている。他にも、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)の多くには、菊花紋章がデザインされている。

 菊花紋章は、歴史的にユダヤやイスラエルの紋章として使われてきた。世界において、菊花紋章をシンボルにしているのはユダヤ人と日本の天皇家以外にはほとんど存在しない。

 こうした事は果たして偶然と言えるだろうか。

 なお、伊勢神宮には三種の神器の一つ「八咫の鏡」があるとされているが、そのレプリカである皇室所蔵の神鏡には、ヘブライ語で「我は在りて在る者なり(=ヤハウェ)」と記されているという。これはモーゼが神に名を問うたときの神の答えの言葉である。

 さらに「伊勢神宮暦」は、他の神社暦と違って「ヘブライ暦」と一致していると言われている。

『大和民族はユダヤ人だった』の著者であるユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグは、カタカナとヘブライ語の類似性を指摘し、日本語の中にヘブライ語の単語が混在していることも指摘し、次のように述べている。

「私は14年の歳月をかけて世界各地の言語を調べあげた。世界には中南米のマヤ人をはじめ、いくつも「失われたイスラエル10支族」の候補となる民族がいるのだが、日本語のようにヘブライ語起源の言葉を多数持つところは他に無かった。一般に日本語はどの言語にも関連がないため“孤語言語”とされているが、ヘブライ語と類似した単語が優に3000語を超えて存在している」

 もし古代の日本に「失われたイスラエル10支族」が到来し、ユダヤの文化や慣習を日本に持ち込んだと考えれば、上記の事柄は全て筋が通る。

 日本史上、最大最強の渡来人であった「秦(ハタ)氏」は、昔から多くの研究家によって「ヘブライ系渡来人」ではないかと推測されている。

 秦氏は第15代応神天皇のとき、大陸から渡来してきたのだが、この時、10万もの人々が日本に帰化したと伝えられている。その一部は京都の「太秦(ウズマサ)」の地に定住するようになったという。

「太秦(ウズマサ)」の地は、秦一族の居住地として栄えた。「ウズマサ」の名称は、古代ヘブライ語アラム方言の「イシュ・メシャ」から転じたもので、「イエス・キリスト」を意味するという。

 また、秦氏の「ハタ」は「イヤハダ」、即ち「ユダヤ」を意味する古代ヘブライ語アラム方言の「イエフダー」が変化したもので、イヤが欠落して「ハダ」となり、さらに「ハタ」となったと言われる。

 秦氏は非常に有力な一族で、794年の「平安京」は事実上、秦氏の力によって作られたとも言われている。

 因みに「平安京」はヘブライ語で「エル・シャローム」(平和の町)、即ちユダヤの聖地「エル・サレム」を意味する。

 しかも「平安京」に遷都した桓武天皇は、古代ヘブライの「燔祭(はんさい)の儀式」を行っていたと言われている。燔祭とは、生贄の動物(雄の牛・羊・山羊、鳩)を祭壇で焼いて神に捧げる神聖な儀式のことである。

 古代の日本人達は、現代の私達には想像も出来ない世界観で生きていた事が窺える。











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