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日本の経済成長を実現する唯一の方法

「正常な金利政策」のみが全てを解決する

[2024.11.1]



先進諸国のGDP成長率の過去40年間の推移


世界中で日本だけが経済成長しない理由



 10月27日に実施された衆院選の選挙戦は、全国各地で異様な盛り上がりを見せていた。

 今回の選挙戦では従来とは違って、大勢の市民が候補者の演説に猛抗議したり、罵声や野次が激しく飛び交う光景が数多く見られた。

 その最大の理由は、前稿でも述べた「ワクチン問題」にある。

 政府が多くの国民を殺す行政が平然と行われ、さらにそうした事実が言論統制によって闇から闇へ葬られているのが、今日の我が国の実態である。

 現在は、政府による言論統制やメディア規制が厳しく、政府にとって都合の悪い事件や事実はことごとく隠蔽される社会へと変貌している。

 安倍政権下で成立した国家機密保護法(特定秘密の保護に関する法律)を拡大適用すれば、政府が不都合と判断した情報は全て「特定秘密」として非公開にする事が可能である。

 ワクチン問題とよく似た利権構造による国際的事件としては、半世紀前のロッキード事件があったが、少なくともロッキード事件は、政府が無差別に国民を殺すような性質の問題ではなかった。

 半世紀前は、言論統制もメディア統制も無かった為、ロッキード事件は国内で大騒動になっていたが、当時の日本は今日よりも遥かに自由な社会であったと言える。

 日本という国家は、この半世紀の間に、明らかに不自由で生き難い社会になってしまったと言わざるを得ない。

 国民が怒っているもう一つの問題は、経済問題に対する政治家達の無為無策ぶりにある。

 現在の日本経済は、「失われた30年」と言われる長期経済不況の真っ只中にあり、出口が見えない状態にある。

 そして今後もさらに「失われた40年、50年」と続いてゆくものと誰もが予想している。

 最近、報道を賑わせている連続強盗事件なども、明らかに経済不況の影響が見て取れる。

 連続強盗事件の首謀者はスマホで指令を出しているだけであるが、現場で直接手を汚す実行犯は、いずれも「闇バイト」に応募してきた貧乏な失業者達に過ぎない。しかも実行犯のほとんどは、前科ゼロの真面目な人達ばかりであるという。

 こうした事件は氷山の一角に過ぎず、不況でなければ犯罪者にならなかったような人々が、次々と犯罪に手を染めてゆくのが現在の日本社会である。

 このまま経済不況が深刻化すれば、そのうち政治テロが頻発するであろう。

 今や日本国民の不満と怒りは巨大なマグマのように地中深く蓄積し続けており、いつ大噴火を引き起こすか分からない状態にある。

 この度の衆院選では、自公与党が全議席の半数に及ばない惨憺たる結果となったが、当然の事であった。

 ただし今回の選挙結果の要因を、決して「裏金問題」にすり替えて矮小化してはならない。

 有権者にとって主要な関心事は、あくまで「命」と「生活」である。

 今回の選挙戦においても、経済問題が主要な争点となり、各政党はそれなりの政策案を出していた。

 しかしながらそれら政策案の中身は、いずれも小手先の弥縫策でしかなく、経済問題の根本的解決には程遠い代物ばかりであった。

 各政党が打ち出した主な政策案は、例えば「消費税減税」や「最低賃金1500円への引き上げ」、あるいは「積極財政推進」や「特別給付金支給」などといったバラマキ政策であったが、その程度の政策によって日本の経済が回復するなどと、政治家が本気で信じているとすれば、この国も終わりである。

 今や与野党を問わず、右も左もポピュリスト政治家ばかりである。

 歴史上、30年以上も不況が続いた先進国はこれまでに存在しない。

 この30年間にわたる日本の長期不況は、世界史的な異常事態なのである。

 もしも本当に、消費税や低賃金などが長期不況の原因であったならば、とっくの昔に問題は解決していたはずである。

 与野党いずれの政党も、日本の長期不況の本当の原因を、完全に誤解してしまっている。あるいは、全く理解していないのである。

 GDP(国内総生産)は、1968年から2009年までの42年間、日本は米国に次いで世界第2位の地位を保ってきたが、2010年には中国に抜かれ、さらに2023年にはドイツに抜かれ、近い将来にはインドにも抜かれて世界第5位になろうとしている。

 すでに日本は経済大国ではない。

 また1990年当時、日本は「1人当たりGDP」の世界ランキングで世界第1位であったが、2024年には38位にまで転落した。今や先進国中で最下位である。

 さらに「国際競争力」の世界ランキングでは、1992年には日本が世界第1位であったが、2024年には38位にまで転落した。

 この30年間、日本国民が他の先進諸国の人々よりも怠けていたわけではない。むしろ最もよく働いていたはずである。

 であるならば、何故に全く経済成長が出来なかったのだろうか。

 先ずはその真の原因を知らなければならない。

 経済ゼロ成長の本当の原因が分からなければ、本当の解決が出来ず、永久に同じ問題が繰り返されるだけである。

 30年にも及ぶ経済ゼロ成長の本当の原因は、消費税でもなければ低賃金でもない。

 間接税や賃金などの問題は、他の先進諸国も抱えているが、いずれの国々もみなしっかりと経済成長をしているのである。

 従ってそれらの問題は、経済ゼロ成長の理由にはなり得ない。

 他の先進諸国がやらずに、日本だけがやってきた事、これが経済ゼロ成長の真の原因である。

 それは、中央銀行によるゼロ金利政策である。

 ゼロ金利で経済成長する事は、太陽が西から上ってもあり得ない事だからである。



「中央銀行金利」イコール「経済成長率」



 経済成長の為に政府が実行すべき事は「正常な経済政策」であり、中央銀行が実施すべき事は「正常な金利政策」である。

「そんな事は分かっている」と多くの人は思うだろうが、政治家も官僚も全然分かっていないのである。

 事実「失われた30年間」において、日本政府や日本銀行が実行してきた事は、「異常な経済政策」であり「異常な金利政策」であった。

 そもそも経済の本質は「ゼロサム・ゲーム」であって、誰かが得をすれば誰かが損をして、全体で見れば必ず「プラスマイナス・ゼロ」になる。

 言い換えれば、誰かの支出は誰かの収入になり、また誰かの負債は誰かの資産になる。

 貸借対照表で左右の欄の総額が一致するように、全ての経済活動は、社会全体では必ず「プラスマイナス・ゼロ」になるように出来ている。

 ただし、そこに中央銀行が定めた政策金利(中央銀行金利)という要因が加われば、事情が変わってくる。

 思考実験で、かりに純粋モデルとして「完全に閉じた経済空間」を想定した場合、「中央銀行金利」と「経済成長率」とは必ずイコールになる。

 国家全体の経済活動がプラスマイナス・ゼロであったとしても、中央銀行金利が5パーセントであれば、国内総所得は年間5パーセント分だけ必ず増加する。

 それが「経済成長」と呼ばれる現象である。

 国民全員が1年間全く仕事をせず、社会全体が休眠状態であったとしても、中央銀行金利分だけはGDPが増加し、経済成長することになる。

 例えば、GDPが100兆円の国家の場合、中央銀行金利が10パーセントであれば、放っておいても1年後にGDPは110兆円になり、10パーセントの経済成長が実現する。

 このように、GDPは中央銀行金利分だけ必ず増加するのである。

 謂わば中央銀行金利とは、「国家の不労所得」である。

 中央銀行が金利を上げさえすれば、何もしなくてもGDPを増やして経済成長が出来るのである。

 単純計算すれば、中央銀行金利を5パーセントに維持し続けた国は、GDPが15年間で2倍になる。

 もし中央銀行金利を7パーセントに維持し続けた場合は、その国家のGDPは10年間で必ず2倍になる。

 従って「所得倍増計画」などというものは、中央銀行金利を7パーセント以上になるように調整するだけで、どこの国でも実現可能な事だったのである。池田隼人が特段偉かったわけではない。

 因みに、中学校の教科書レベルのセオリーでは、「デフレや不景気の場合は、中央銀行が金利を下げて市場に通貨を供給して景気を良くし、好景気が続いてインフレが加熱した場合は、逆に金利を上げて通貨供給量を減らしてインフレを抑制する」という建前になっている。

 そのため、元・秀才の日銀幹部達は、今でも中学校の教科書の通りにやれば正解だと思い込んでいる。

 しかしながら現実の経済は、決してそうした教科書通りにはならず、「パラドックス」や「罠」だらけである。

 古代ギリシャのゼノンが唱えた「アキレスは亀に追いつけない」のテーゼと同様、理論としては整合性があっても、現実にはそうならないものである。

「金利を上げれば市場から通貨が減少して景気が減速する」などという古典的経済理論は、現実には成立しない。

 百年前の経済理論などは、現実の前にすでに破綻している事を知らねばならない。

 現実社会においては、むしろ金利が高ければ、得られた利息でさらなる消費や投資が増えて、経済の好循環が生まれるのである。

 また「金利を下げれば市場に通貨が増えて景気が良くなる」という古典理論も、実際にはそうならない。

 経済においては「流動性の罠(liquidity trap)」と呼ばれる現象が存在する。

「流動性の罠」とは、金利が著しく低下している条件の下では、景気刺激策としてマネーサプライを増やしても、もはや投資を増やす効果が得られなくなる事をいう。

「流動性の罠」の状況下では、たとえ金利を引き下げて通貨供給を増やしても、銀行等に資金が大量に滞留するだけで、民間の企業や個人などには資金が流れ込まず、設備投資や個人消費等が増えないようになる。

 この現象は、そのまま日本経済の姿に当て嵌まる。我が国の「失われた30年」は、「流動性の罠」に陥った30年でもあった。

 古典経済学の仮想世界とは異なり、現実社会においては、いくら利上げを続けてもインフレが止まらない国もあれば、いくら利下げを続けてもデフレが止まらない国もある。ここ30年間の日本は後者である。

 つまり、利上げがインフレの原因になるケースもあれば、利下げがデフレの原因になるケースもある。

 一般的に中央銀行金利は、2.5パーセントから5.5パーセント程度が最も適正な金利水準の範囲であって、中央銀行金利がこのレンジから大きく外れた場合、その国の経済は困難な事態に陥ることになる。

 中央銀行金利が10パーセントを超えた場合、それ以降は、いくら利上げを続けてもインフレが止まらなくなる傾向がある。これは中南米諸国でよく起きる現象である。

 逆に、中央銀行金利が1パーセントを割り込めば、それ以降は、いくら利下げを続けてもデフレが止まらないようになる。1995年以降の日本が典型例である。

 1995年9月8日、日銀は当時1パーセントだった公定歩合を0.5パーセントに引き下げた。

 それは日本銀行が「流動性の罠」に嵌った瞬間であり、そこから日本経済は崩壊の道へと突き進む事になった。

 1995年以降、木津信用金庫や北海道拓殖銀行をはじめ、数多くの地方銀行の連鎖倒産が始まり、1997年には大手証券会社の山一証券が破綻した。

 日銀が金利を下げ続けてきた事によって、デフレと長期不況が深刻化したのであった。

 あくまで「正常な金利政策」とは、中央銀行金利を2.5パーセントから5.5パーセントの範囲内に収めるようにオペレーションする事である。

 間違っても中央銀行金利は、1パーセントを割り込んだり、10パーセントを超えてはならない。

 航空機の操縦でも、機体を一定の角度以上に上昇させてしまうと、浮力が失われ、失速して墜落する。

 従って、1995年9月8日に1パーセントを割り込んだ異常な金利は、出来る限り早い時期に正常な金利レベルまで回復させなければならなかった。

 しかしながら日銀当局は機を逸してしまい、結果としてその後約30年間にわたり、金利が1パーセントを回復する事は無かった。

 どこの国であっても、金利1パーセントは「超低金利」と見做される。

 だが現在の日本においては、金利1パーセントでさえ「超高金利」である。

 日銀による「異常な金利政策」は、この30年間で、日本人の経済感覚まで異常にしてしまったのである。

 もし我が国が経済成長を望むのであれば、30年来続けられてきたゼロ金利政策をやめる以外には無い。

「ゼロ金利」政策とは、「ゼロ成長」政策に他ならないからである。

「異常な金利政策」が開始されてから29年後の2024年7月31日、ようやく日銀当局は政策決定会合において、0.10パーセントから0.25パーセントへの利上げを決定した。

 しかしながら翌日、投機筋による売り浴びせで株価が大暴落した事態を受け、日銀当局は早々に利上げを撤回するという信じ難い判断をした。

 これで再び、日銀は利上げが出来なくなってしまった。

 今や日銀は、金利を上げる事に心底から恐怖心を抱いているようである。これこそが何よりも深刻な問題である。

「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」という諺があるが、1パーセントどころか、僅か0.15パーセントの利上げすら出来なくなった中央銀行など、存在する意味さえ疑われる。

 この事は、「異常」を「正常」へと戻すことが、如何に大変であるかを物語っている。

「正常」を「異常」にするのは容易であるが、「異常」を「正常」に戻すのは困難を極めることになる。

 もはや金利政策を実施する能力を持たない日本銀行を、果たして「中央銀行」と呼ぶべきかどうか疑問である。

 しかも日銀は「流動性の罠」のみならず、「中学校の教科書の罠」に嵌っている状態なのである。



アベノミクスがもたらした共同貧困社会



 1960年代の高度経済成長時代は、大抵の家庭は共働きの必要も無く、主婦の多くは家庭にいて子供の面倒を見ながら、誰もが普通に豊かさを享受していた。その頃は少子化問題も無く、それどころか「人口爆発」が社会問題になるほどであった。

 60年代の日本の豊かさをもたらした最大の要因は、当時の「高金利」であった。

 例えば銀行預金金利が5パーセントであれば、100万円の預金がある家庭の場合は、毎年5万円の利息を受け取る事が出来た。

 そうした「臨時収入」が入れば、そのお金で何か贅沢な物を買おうという人々が増え、社会全体で需要が増大することになる。

 当時の人々にとっての受取利息は、現在の「特別給付金」のような景気浮揚の効果があった。

 因みに、政府が国民に「特別給付金」を配るなどという今日のようなバラマキ政策は邪道であって、政治の堕落以外の何物でもない。

 景気浮揚策であれば、政府が国民に現金を支給するのではなく、日銀が「正常な金利政策」を実施するだけで良い。本来、それで解決する問題なのである。

 かつて高度経済成長時代には、企業の多くは銀行に預けた剰余金の金利で、社員に年2回のボーナスを出す事が普通であった。

 かくして得られたボーナスの多くは消費に回され、景気はますます良くなった。

 さらに預金額の大きい資産家や大企業は、受取利息も大きい為、自ずと使う金額も大きくなる。

 このように「高金利」の社会においては、「トリクルダウン」による好循環経済が、普通に成立していたのだった。

「トリクルダウン」経済は、あくまで「高金利」の社会に特有の現象であって、ゼロ金利社会では発生し得ない現象である。

 言い換えれば、高金利の社会であれば高度成長が実現するが、ゼロ金利の社会であればゼロ成長が実現する。

「金利」と「成長率」とは表裏一体、コインの表と裏なのである。

 ゼロ金利状態を維持したままでは、いくら量的金融緩和や財政出動を実行したところで、GDP自体が増加する事はないし、トリクルダウンも発生しない。

 この事は、10年間にわたるアベノミクスの失敗によって、完全に証明された。

 2012年に発足した安倍政権下においては、「アベノミクス」と称して異次元の金融緩和や大規模な財政出動が実施されたにも関わらず、経済成長どころか、不況の出口すら見出せなかった。

 またアベノミクスの実働部隊であった日銀の黒田総裁は「黒田バズーカ」などと称し、ゼロ金利をマイナス金利にまで引き下げるなど、狂気の沙汰とも言える異常な金利政策を実行した。

 これは火に油を注ぐようなもので、日本経済に止めを刺したようなものである。

 さらにアベノミクスの効果が出ない事に焦った安倍首相は、政権末期に至って「一億総活躍社会」なるスローガンを掲げて、国民を扇動し始める始末であった。

 そもそも「一億総活躍」などというスローガンの元ネタは、戦時中の「一億総特攻」や「一億総玉砕」という標語である。

 政府が「一億総〇〇」などと言い出す場合は、すでに万策尽き果てて、自暴自棄になって国家が滅亡に向かって突っ走っている証拠に他ならないのである。

 しかも後期アベノミクスのように、GDPが増加しない状態で「就業率」だけが不自然に上昇した場合、個々の取り分が縮小する結果となり、「貧困の分配」がもたらされることになる。

 かくしてアベノミクスによって実現されたのは「貧困のトリクルダウン」であり「共同貧困社会」であった。

 予想された結果とはいえ、約10年間をかけてきた壮大な社会実験として、「ゼロ金利」と「ゼロ成長」との相関性が現実において実証されたことになる。

 大量の経済犠牲者と多数の自殺者を出して得られたこの社会実験結果を、日本国民は決して無駄にしてはならない。

 一方、過去20年間のOECD諸国のGDPが着実に伸び、経済成長を遂げてきたのは、いずれの国々も高い金利水準を維持し続けてきたからである。

「高い金利水準」といっても、ゼロ金利の日本から比べた場合に「高い」だけの事で、多くの先進諸国はみな3パーセントから5パーセント程度の適正な中央銀行金利を維持し続けている。

 世界のGDP推移のデータでも明らかなように、各国の経済成長率は中央銀行金利に比例する。

 かつて日本が世界一と言われた1990年当時、日銀の公定歩合は5.25パーセントであった。

 かりに、もしその中央銀行金利をそのまま維持した場合、単純計算で13年後にGDPが2倍を超えることになる。

 今更言っても仕方の無い事ではあるが、日銀が1990年の5.25パーセントから金利を変更しなければ、2000年頃には、日本のGDPは1千兆円を超えていたはずであった。

 アベノミクス失敗の後、菅政権を経て、2021年に発足した岸田政権は、依然としてゼロ金利政策を続けながら、何故か突然「新・所得倍増計画」なるものを提唱した。

 そして「新・所得倍増計画」は、当然のことながら大失敗した。

 中央銀行金利がゼロであれば、経済成長もゼロになる事は必然的結果である。

 ゼロはいくら掛け算してもゼロにしかならないのである。これは小学生でも分かる計算である。

 従ってゼロ金利が続けられる限り、「所得倍増」などという現象は百年経ってもあり得ないのである。

 池田政権の「所得倍増計画」の名に泥を塗った上に、結果的に宏池会まで解散させてしまった岸田文雄は、果たしてあの世で池田隼人に会わせる顔があるのだろうか。



金利引き上げこそ財政問題の真の解決策



 これまで日本国民を塗炭の苦しみに追い込んできた張本人は、財務省と日銀であった。

 たとえ国民全員が夜も寝ずに必死で働き続けたとしても、ゼロ金利政策が続けられる限り、GDPが増えることはなく、経済成長率はゼロのままである。

 そもそも経済活動とはゼロサム・ゲームである為、全体として見た場合はプラスマイナス・ゼロの活動であって、増える事もなければ減ることもない。

 本来、経済とは「不増不減」の世界なのである。

 故に、金利がゼロである限り、経済がゼロ成長である事は必然であり、不思議ではない。

 こうした当然の成り行きに対して、無知な政治家達が文句ばかりつけながらいじり回し、一般庶民がのたうち回っているのが、この国の姿なのである。

 前述したように、我が国のゼロ成長の真の原因は、1995年以降の日銀による超低金利政策であった。

 30年間に及ぶゼロ成長は、30年間のゼロ金利政策がもたらした当然の結果である。

 かくして日本国民は、この30年間、汗水垂らして血眼になって働いてきたにも関わらず、経済的には恵まれる事が無かったのである。

 一方、他の諸国の人々は、それほど必死で働かなくとも、高金利のおかげで豊かな生活を送り、物価の安い日本に観光にやって来る。

 今や日本は、観光立国の発展途上国になりつつある。

 事実、ゼロ金利の結果、我が国の給与水準は30年間も変わらず、横這いが続いている。給与水準は今や先進国で最低水準であり、韓国にも追い抜かれた。

 このままゼロ金利を続けるならば、間もなく日本は先進国から転落するであろう。

 中央銀行金利を引き上げない限り、GDPの増加も経済成長もあり得ない。

 逆に言えば、中央銀行金利を引き上げれば、GDPの増加も経済成長も可能となる。

 しかしながら、それを阻止しているのは財務省である。

 財務官僚は、利上げに伴う国債利払い負担の増大を何よりも恐れているのである。

 中央銀行金利が上がれば、国債の利払い負担で国家財政が圧迫される、という理屈は確かに説得力がある。

 だが、時代と共に通貨の価値が変わるという事を、財務官僚は全く考慮に入れていないのである。

 かりに中央銀行金利5パーセントの状態を50年継続した場合、GDPの規模は10倍になる。その場合、通貨の価値は10分の1になる。

 相対的に、国債の利払い負担も10分の1に減少する。

 現在日本が抱える1000兆円規模の債務の価値は、50年後には現在の10分の1に過ぎなくなるのである。

 さらに中央銀行金利5パーセントを100年続けた場合は、GDPは100倍になる。

 債務の価値が100分の1になれば、財政再建は、ほぼ解決したに等しい状態になる。

 我が国の財政再建を実現する為には、中央銀行金利5パーセント、GDP成長率5パーセントを、今後100年にわたって維持し続ける事である。

 その代わり、国債の新規発行をやめて、プライマリーバランスを徹底し、税収の範囲内で全歳出を賄うようにすれば良い。

 金利が上がれば税収も増える為、プライマリーバランスの達成は容易になる。

 事実、昭和40年までは国債発行ゼロで国家予算が組まれていたのである。当時は、税収の範囲内で歳出を賄うのが当然であった。

 このように、金利の適正水準への引き上げこそが、財政再建の為の真の解決方法なのである。

 財政再建の為に日銀に必要な事は、あくまでも「正常な金利政策」なのであって、断じてゼロ金利政策ではない。

 現行のゼロ金利政策を継続する限り、財政問題の解決は永久に不可能である。

 これから生まれてくる子供達のほとんどは、22世紀まで生きる世代である。

 財政再建は「百年計画」の課題として、継続的に取組む必要がある。

 それには、中央銀行金利の引き上げこそが財政問題の最善の解決策であると知らねばならない。



「異常な経済政策」ではなく「正常な金利政策」を


 今回の衆院選の選挙戦においては、「景気を底上げする」などと称して、無責任な積極財政策や特別給付金のようなバラマキ政策を提唱する政党がいくつも見られた。

 たとえ耳障りが良く聞こえたとしても、彼等が「異常な経済政策」へと流されてしまっている事は明白である。

 中でも「最低賃金1500円への引き上げ」を唱える政党や候補者に対しては、もはや怒りを通り越して呆れ返る他はない。

 そもそも賃金を上げる為には、大前提として、金利が上昇している事が絶対条件である。

 ゼロ金利状態が続けられる限りは、逆さに振っても賃上げの為の原資は出てこない。

 しかも従業員に「最低賃金1500円」を出すのは、政府ではなく、民間企業なのである。

 中小企業の経営者の多くは、「もし最低賃金1500円が法律で決まったならば、従業員を解雇するか、首をくくるしかない」と述べている。

 ゼロ成長の上に金利ゼロの現状で、さらに賃上げを要求されたならば、多くの企業は廃業するしかないであろう。

 このように無知で傲慢な政治家が、立場の弱い庶民に対して無理難題を押し付けてくる構図は、まるで江戸時代の悪代官と百姓達の姿と変わらない。

 現在日本国内では、企業の9割が中小企業であり、全労働者の7割の人々が中小企業で働いている。

 そうした中小企業を破綻に追い込むような政策を、嬉々として大声で唱えている政治家達の姿を見れば、「この国に未来は無い」と感じざるを得ない。

 現実社会の実態も知らない連中ばかりが国政選挙の候補者になって、非常識な経済政策を臆面もなく主張している光景を見て、恐怖を感じた一般市民も少なくないであろう。

「政府が国民を殺す」行政は、医療分野のみならず、経済分野においてさらに深刻の度合を強めている。

 民間企業に対する賃上げ強制によってもたらされるのは、大量の企業倒産と大量の失業者が溢れ返る大貧民社会である。

 いずれ東京や大阪は、ニューヨークやシカゴのような犯罪都市へと変貌するであろう。すでにその兆候は現れている。

 現在の日本経済にとって本当に必要な事は、あくまで「正常な金利政策」である。

 それ以外の「異常な経済政策」は、全て間違っている。

 中央銀行が金利を引き上げさえすれば、放っておいても最低賃金は毎年上昇するのである。

 適正な金利水準であれば、最低賃金1500円どころか、数年以内に最低賃金2000円も難なく実現されるだろう。

 中央銀行によって「正常な金利政策」さえ為されていれば、政府がわざわざ民間企業の賃金にまで口出しする必要など無いのである。

 政府が市場経済に介入しない事が、新自由主義の原則である。

 しかしながら、現状のように「流動性の罠」に陥ったままでは、たとえ政府が財政出動を繰り返したとしても、経済成長は不可能であるし、財政再建も出来ない。

 ゼロ金利状態が続けば、銀行などの金融機関の経営も成り立たなくなる。

 悪名高い「貸し渋り」や「貸し剥がし」などの行為も、元々はゼロ金利に起因しており、決して金融機関が望んでやってきた事ではない。

 また、国民の多くが金利の付かない預貯金を金融機関に死蔵させているだけでは、経済が循環する事はあり得ない。

 だが、仮に長期金利が2パーセントに上がれば、1千万円の預金のある人の場合は、年間20万円の利息が入ってくる。

 そうした利息は不労所得やボーナスのようなものなので、大半は消費に回るであろう。

 国内需要は自ずと喚起されることになる。

 一部の政党が人気取りの為に唱えている「国民への特別給付金」など、そもそも必要が無いのである。

 日本全体で眠っている個人資産総額1000兆円に2パーセントの利息がかかれば、毎年20兆円もの金額を、預金者が受け取れることになる。

 かりに年間20兆円規模の特別給付金が、毎年国民に配られたなら、景気は回復するに決まっている。

 要は、それを現金給付ではなく、金利政策でやれば良いだけの話である。

 中央銀行金利をゼロから2パーセントにするだけで、国民全体に毎年20兆円が賦与されることになる。

 このように、中央銀行金利を適正水準に引き上げるだけで、社会全体が豊かになり得るのである。

 事実、昭和時代にはそのようにして経済の好循環が生まれていたのであり、当時の人々はみな豊かに暮らせていたのである。

 金利を引き上げれば、流動性が高まり、社会全体に金が回るようになり、富のトリクルダウンも実現することになる。

「流動性の罠」に陥った日本社会の場合は、金利を適正な水準(2.5パーセントから5.5パーセント)に引き上げなければ、社会全体にお金が流通しない。

 現在の日本では、高齢者の大半が、1千万円以上の銀行預金を保有している。従って、日銀が中央銀行金利を引き上げるだけでも、高齢者への「福祉」が自動的に実現される事になる。

 国がわざわざ予算を組まなくても、金利政策によって福祉が実現されるのである。

 こうした低負担・高福祉のシステムが、昭和時代には当たり前に機能していた。

 昭和時代が豊かだった普通の理由を、みんなが忘れてしまい、誰も覚えていないのが、現在の令和時代なのである。

 また、この30年間のゼロ金利政策の結果、給与水準が30年間も変わらなかった社会が、如何に異常な社会であるかという事についても、人々は気付いていないのである。

 2024年現在、日本国内企業の「内部留保」の総額は、約600兆円に上る。

 GDPを超える金額が死蔵されている状態であれば、不景気が続くのも当然である。

 ただし、多額の内部留保をしている企業を批判する事は筋違いである。

 銀行が貸し渋り、企業が金融機関を当てに出来ない状態であれば、企業側としても、剰余金を貯め込んで、いざという時の為に備えておく事は当然の対応である。従業員の為にもそうせざるを得ないのである。

 むしろ真に非難されるべきは、「流動性の罠」に陥っているにも関わらず、そこから脱却しようともしない日本政府および日本銀行である。

 こうした事を指摘する政党すら存在しないという現実が、日本政治の劣化ぶりを物語っている。

 我が国の金融当局が為すべき事は、金利を正常な水準に引き上げる事であり、それだけで十分である。

 仮に金利を2パーセントに引き上げるだけでも、内部留保総額600兆円に対し、12兆円もの利息が国内市場に流通し始めることになる。

 必然的に国内経済は大いに活性化する。

 毎年、総額12兆円もの利息が市場に供給されるならば、各企業は従業員の給与やボーナスに充てる事も出来るし、新たな事業に投資してさらに雇用を創出する事も可能になる。

 全ては金利を適正水準に上げさえすれば解決する問題なのである。

 中央銀行金利の引き上げによって実現されるのは「正常な経済成長」である。

 これまで日本の「正常な経済成長」を阻害してきたのが日本銀行であった。

 日銀は、30年近くにわたりゼロ金利政策を続けて日本を衰退させてきた張本人である。

「ゼロ金利政策」とは「ゼロ成長政策」を意味する。

 繰り返しになるが、正常な経済成長の為に政府が実行すべき事は「正常な経済政策」であり、中央銀行が実施すべき事は「正常な金利政策」である。

 アベノミクスのような「異常な経済政策」や黒田バズーカのような「異常な金利政策」などは、国をオモチャにして日本を滅ぼす行為であった。

 少なくとも国政に携わる立場であるならば、勤勉で努力する人々がきちんと報われるような社会を目指さなければならない。

 しかしながら今回の衆院選においては、与野党を問わず誰一人として「正常な金利政策」を訴えた候補者はいなかった。

 それどころか、無責任な積極財政策を唱えたり、「消費税廃止」や「特別給付金のバラマキ」など、「異常な経済政策」ばかり提唱する候補者達が跳梁跋扈する有り様であった。

 まるで国家をオモチャのように扱おうとしている点において、彼等もまた、安倍や黒田らと同類の存在に他ならないのである。

 彼等はいずれも「正常な金利政策」から逃げて「異常な経済政策」へと流されている。かつての安倍や黒田らがまさにそうであったように。

 現在の日本に必要な政策は、一にも二にも「正常な金利政策」の実行である。

「正常な金利政策」とは、中央銀行金利を必ず2.5パーセントから5.5パーセントの範囲内でのみ運用することである。

 中央銀行金利が1パーセントを割ったり、10パーセントを超えたりすれば、その国の経済は崩壊する。

 そして「正常な金利政策」のみが、唯一「正常な経済政策」であると知らなければならない。

 わざわざ「異常な経済政策」に手を出す必要など無いのである。

「正常な金利政策」以外の全ての経済政策は必ず破綻する。

 この30年間、まるで日本だけが特別な国であるかのように、他の国々とは異なる破天荒な金利政策(ゼロ金利)をやってしまったが故に、我が国だけが世界経済から完全に取り残され、没落したのである。

 普通の国々のように、普通の金利水準に戻しさえすれば、普通に経済成長が出来るようになる。

 経済不況のみならず、財政問題から少子化問題に至るまで、この30年間に日本が抱えてきた諸問題は、「正常な金利政策」を実行する事によって、ほぼ全て解決するのである。















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