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「帝国」の解体から多数の「国民国家」へ
統一中国では「民主化」は不可能
[2024.8.1]
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諸夏主義が構想する各民族国家が独立した東アジア (諸夏網より) |
Photo(C)諸夏網 |
「中華民族」の捏造とジェノサイド
前回は、「中国解体」の為の長期戦略の必要性について述べた。
そこで今回は、その具体的な内容について考えてゆく。
「中華民族の偉大なる復興」を唱える習近平は、政権発足の2012年以来、事あるごとに「中華民族」の概念を強調してきた。
だが、そもそも「中華民族」などという民族が存在するのか、という問題がある。
中国共産党は、漢民族の他、蒙古民族、満洲民族、チベット民族、ウイグル民族などの少数民族も一括して「中華民族」として扱っている。
そのため中国共産党は、13世紀に大帝国を築き上げた蒙古民族のチンギス・ハーンを、「中華民族の英雄」として位置づけている。牽強付会も甚だしいと言わざるを得ない。
そうした背景には、中国の周辺地域に居住する少数民族を全て「中華民族」と定義することによって、中国がそれらの地域を併合する事を正当化する狙いがある。
つまり「中華民族」とは、あくまでも政治的都合によって創作された人工的な概念であって、実際に「中華民族」という「民族」が存在するわけではない。
事実は、中国共産党が武力占領した地域の住民を、「中華民族」の名の下に同化政策の対象としてきただけである。
こうした「中華民族」への同化政策は、明らかに他民族の存在を抹消する行為であり、国際法で禁止されている「ジェノサイド(民族抹殺)」に相当する。
しかも現在の中国共産党は、「台湾民族」や「琉球民族」をも「中華民族」と定義している。
中国共産党による勝手な定義づけをこのまま許しておけば、いずれ台湾のみならず沖縄も、チベットやウイグルなどと同様の状態にされてしまうであろう。
「今日の香港、明日の台湾、明後日の沖縄」という言葉があるが、実はこれは日本国内で言われているのではなく、中国国内で言われている言葉なのである。
つまり中国の一般人民にとっては、すでに台湾や沖縄は「併合」の対象として認識されているのである。
なお、歴史的に「中華民族」という単語が初めて公式に出てくるのは、1900年11月、清朝の政治家・伍廷芳の講演とされる。ただし当時は、あくまで漢族を称する用語であり、満洲族やモンゴル族、チベット族などは「中華民族」に含まれないと考えられていた。
状況が変わったのは、1988年、中国共産党の御用学者で全人代の常務委員でもあった費孝通が、「中華民族多元一体構造論」なる論文を発表し、その中で「中国に住む諸民族は数千年の歴史を経て形成された一体性を有する」などと書いた事による。
この「中華民族多元一体構造論」が、その後の中国共産党の公式見解となり、中共の民族政策の基本路線を形成した。
とりわけ習近平政権になってからは、中華民族主義が強化され、「民族の始祖」とされる黄帝(約4700年前の伝説上の王)への崇拝や信仰が奨励されるようになった。
因みに歴史的事実としては、1851年の「太平天国の乱」以前には、「漢民族」という概念すら存在しなかった。
「太平天国」の反乱指導者・洪秀全が、清朝打倒の為に出来るだけ広範囲の民衆の支持を集めようとして、それまで無かった「漢民族」なる概念を捏造し、「滅満興漢」(=清朝の満州民族を滅ぼし漢民族を興す)を反乱のスローガンにした。
このように「漢民族」も、あくまで政治的に創作された架空の概念であった。
なお「漢民族」の概念は、1911年の辛亥革命以降、中国国民党によって中国全土に浸透され、後に蒋介石による「北伐」(=漢民族統一戦争)の大義名分として利用された。
こうした「民族捏造」の手口は、現在の中国共産党にまで引き継がれている。
そして今では、中国当局が強要する中華民族主義への反発が、中国全土で発生している。
とりわけ独自の歴史と文化を有するチベットやウイグルや内モンゴルなどの人々は、自分達が「中華民族」の概念に含まれることへの反感を強く抱いている。
また台湾や香港においても、中華民族主義に対抗して、台湾民族主義や香港民族主義が台頭している。
もともと台湾には、1947年の2・28事件を契機とした台湾民族主義の流れがあり、香港にも「香港人は一民族」とする香港民族論が存在する。
さらに米国在住の政治思想家である劉仲敬は、「中華民族は政治的捏造である」として、中国からの各民族の独立を説く「諸夏主義」を提唱している。
「諸夏主義」思想とは何か
「諸夏主義(しょかしゅぎ)」とは、中国の反体制思想家・劉仲敬(りゅうちゅうけい)によって提唱された思想で、中国民主化運動の一派を形成している。
劉仲敬は、1974年に四川省で生まれ、地元の医科大学を卒業後、ウイグル自治区の公安に10年間勤務した。その時に民族間の衝突を実感し、問題意識を持つようになったという。その後、四川大学で世界史の修士課程を修了し、武漢大学で歴史系の博士課程を専攻した。
歴史が専門の劉仲敬は、「自発秩序学」の概念を用いて、古代中国の春秋時代(=諸夏時代)に存在していた「小さく分散した高度な自治」と「地域密着」「古来の慣習法」などの重要性を訴え、中央集権主義的な「帝国」システムを否定している。
因みに「諸夏」とは、「諸侯」を意味する。
「諸夏主義」は、中国を一つの「帝国」として中国全体を民主化するのではなく、中国からの「各民族の独立」によって民主化を達成しようとする思想である。
またそれは、「諸夏時代」のように中国を分割した状態にすることによって、「中華帝国」の強権的支配権力を喪失させる事をも目指している。
その根底にあるのは「反中華主義」であり、中華民族主義を真っ向から否定する。
「諸夏主義」は、「中華民族の概念は政治的捏造である」とし、20世紀に中国国民党や中国共産党によって捏造されてきた歴史解釈や近代的反日潮流を否定し、蒋介石による「北伐」をも批判する。
さらに、習近平が推奨する中華民族主義とは「大一統思想」や「中華中心主義」に基づく選民思想であって、各民族の文化や歴史を否定するものであるとして批判する。
「諸夏主義」は、各民族の対立を無くし、それぞれの文化を守り、真の意味での「中国民主化」を実現する事を目指しており、そのためには「諸夏時代」のように「漢民族はいくつかの国に分かれる必要がある」と主張する。
そして「漢民族」はもともと一民族ではなく、粤民族、上海民族、閩越民族、滇民族、夜郎民族、満洲民族、晋民族、燕民族、昭武民族、呉越民族、巴蜀民族、湖湘民族、江淮民族、贛越民族、荊楚民族などに分かれ、それらが本来の民族であるとする。
なお冒頭に掲載した地図は、「諸夏主義」が構想する各民族独立による「国民国家」を主体とする中国全図である。
そこでは中華人民共和国は消滅し、それに代わって20数カ国の「国民国家」がそれぞれ独立主権国として共存している。
さらに、かつてローマ帝国崩壊後に、ラテン語から各国の言語が生まれたように、中国の場合は、中華思想に基づく統一帝国が崩壊した後、やがて漢字を使用した各民族の国語が生まれる、とする。
また「諸夏主義」は、民主主義についても独特の考察があり、劉仲敬は各国の歴史を比較して、下記のように述べている。
「いわゆる民主主義とは、『国民国家』の出現の過程で形成された統治様式であって、中国に限らず、『国民国家』以前の多民族・多文化の『大帝国』には民主主義は成立しない」
「中東のオスマン帝国にも、ヨーロッパの神聖ローマ帝国にも、民主主義は成立しなかった」
「民主化が成功したのは、ヨーロッパでは神聖ローマ帝国の解体後であり、中東ではオスマン帝国が解体された後であった」
「なぜ日本が民主化が可能であったのか。その解答は、日本がアジアにおけるイギリスであり、大陸の帝国システムから離脱して国民国家を形成し得たからである」
「韓国は、かつては明や清の帝国に属していたが、帝国システムから撤退した後、民主化が実現した」
「台湾の民主化要因も、大一統の中華秩序からの離脱によるものであり、もし中華秩序の中で運営されていれば、台湾の民主化は絶対に不可能であった」
劉仲敬は、こうした歴史分析と考察が「諸夏主義」の出発点となったという。
「民主化は帝国システムを解体しなければ実現されない」という結論を、劉仲敬は世界史研究を通じて導き出したのである。
劉仲敬によれば、中国の民主化は「中華帝国」が存続する限り絶対に達成されないとする。
そして、各民族が「帝国」から離脱して「国民国家」を取り戻すことが、民主化を実現する唯一の方法であると主張する。
「諸夏主義」運動の展開
劉仲敬は、政治経済や地政学的状況の様々な理由により、中国が将来崩壊して「大洪水」と呼ばれる無秩序な状態に陥るとして、「大洪水」の様相を次のように表現する。
「中国は間もなくソビエト連邦やユーゴスラビアの崩壊過程に似た大きな混乱を迎えるだろう。経済危機と金融破綻が通貨崩壊につながる。最後に中央当局が崩壊し、流民(ホームレス)や暴徒が頻出する」
かつてソビエト連邦の崩壊後には15の主権国家が成立し、ユーゴスラビアの崩壊後には6つの主権国家が独立を遂げた。
劉仲敬の言う「大洪水」とは、民衆の反乱による帝国崩壊のことであり、「大洪水」の後、各民族による「国民国家」が形成され、「諸夏」の時代が到来する、と説いている。
四川省の出身である劉仲敬は、現在米国内に亡命中であるが、2018年11月9日から「大蜀民国(=四川省)」の臨時総統と称し、現在の四川省を中華人民共和国から独立させて、「大蜀民国」として建国する事を目指している。これは「巴蜀民族」の「中華帝国」からの独立運動である。
また香港については、劉仲敬は「香港独立」を支持しているが、「広東独立」が為されなければ香港は安全にならないとし、香港が独立する為には、大前提として広東省の独立が必須条件としている。
こうした「諸夏主義」の運動は、2010年代後半から活発になっている。
在米上海人の何岸泉は、「諸夏主義」の思想に基づいて、2018年7月18日、上海独立を主張する「上海民族党」を結成した。
2019年12月には、「諸夏主義」思想の影響を受けて「満州独立」を主張したフィンランド在住の王展が、フィンランドから中国に入国した際に警察に拘束され、国家政権転覆扇動罪で瀋陽第一拘置所に収監された。
なお「諸夏主義」と中国民主派との関係については、前者が「中華帝国の解体」と「各民族の独立」による民主化を主張しているのに対して、中国民主党や新中国連邦などの中国民主派は、中国の分裂を否定した上での中国民主化を唱えている。
天安門事件での学生リーダーであった中国民主派の王丹は、「諸夏主義」のメディアからの質問に対し、「民族独立ではなく中国を民主化するべきだ」との持論を繰り返したという。
そのため劉仲敬は、民族独立に反対する中国民主派を「温和派中国人」と呼んで危険視している。
劉仲敬の世界史法則では、「帝国」であり続ける限り「民主化」は絶対に不可能だからである。
「諸夏主義」によれば、「民主化」を達成するには「帝国」の解体と諸民族の独立(=「国民国家」の形成)が不可欠なのである。
「天下百分の計」による平和で安定した社会
なお私達は、「諸夏主義」の立場を全面的に支持するものである。
かりに「諸夏主義」でなくても、「雑多な集団からなる膨大な人口を擁する広大な中国をまとめて統治するには独裁でなければ無理」とする中国共産党に対し、「独裁を終わらせて民主化を実現するには中国を分割してそれぞれ小さな範囲で独自にやってゆけば良い」とするのが正論であろう。
後漢末期の「三国志」の時代には、諸葛孔明が「天下三分の計」を説き、その策に基づいて劉備玄徳が「蜀」を建国した。
なお、こうした「三勢力が鼎立し均衡を保つ」という戦略自体は、諸葛孔明よりも以前から存在する。
楚漢戦争の時代には、蒯通が韓信に楚、漢、斉による「天下三分の計」を提案していた。
当時においても、それはごく自然の発想であり、当たり前の事であった。
そもそも広大な中国大陸に、統一帝国を作ること自体に無理があったのである。
中国大陸では過去数千年にわたり、無理やり統一帝国を維持しようとしてきた為、何度も王朝が倒されては別の王朝に替わられるといった具合に、常に革命や内乱ばかりが発生する不安定な地域になってしまった。
ヨーロッパのように諸勢力が割拠して均衡を保つことが、実は最も安定した状態なのである。
因みに「三国志」時代の人口が、中国全体で約2千万人程度であった事を考慮すれば、現在約14億人の中国は人口が当時の約70倍であるから、古代の「天下三分の計」は、今では「天下210分の計」に相当することになる。
なお現実的には、数十カ国から百カ国程度の「国民国家」への分割が妥当であろう。
そこで現代版の「天下三分の計」を、「天下百分の計」と呼ぶことにする。
ヨーロッパ大陸のように、中国が各民族単位に数十カ国の「国民国家」に分かれて、各国内で普通選挙と複数政党制による議会政治が実施されれば、強権的で抑圧的な人民監視体制などは一切不要となるのである。
かくして「天下百分の計」によって、中国大陸には均衡が保たれた平和で安定した「国際社会」が実現されることになる。
そして「帝国」システムである中華人民共和国から、諸民族が「独立」を目指す事は、近代の国際法に照らしても、また「民族自決」の観点からも、最も正しい選択である。
「民族自決権」は「人権」の根底にある要素であり、本来全ての人間に普遍的に備わる「自然権」である。
従って「帝国」システムからの「民族独立」は、万人に賦与された普遍的な権利である。
人間が人間らしく生きる上で必要な事は、「独立なき自治」ではなく、完全な主権国家としての「独立」なのである。
これとは逆に「独立」に反対する事は、中華民族主義への同化政策に加担する行為であり、中国共産党による「ジェノサイド」に協力する事に他ならない。
ジーン・シャープの「非暴力抵抗論」
「天下百分の計」で、中華人民共和国が数十カ国の「国民国家」へと分割されれば、従来の中国当局の強大な権力は失われ、それぞれの「国民国家」へと「分権」される。
その事によって最も利益を享受するのは、中国人民である。彼等が獲得するのは真の自由である。
ただし、武装蜂起や暴力革命といった手段では、中華人民共和国の解体は不可能である。人民解放軍の武力によって鎮圧されて終わるだけである。
このような状況を打開し、諸民族の独立を実現してゆくにはどうすれば良いのか。
その最適解の1つが、ジーン・シャープが提唱した「非暴力抵抗論」である。
ジーン・シャープは、インドの独立運動指導者マハトマ・ガンジーの研究を礎として、独自の非暴力論を構築した政治学者である。
ジーン・シャープは、「非暴力」の研究に生涯をかけた政治学者であり、人々が独裁体制の出現を防ぎ、あるいはそれを打倒するために、「非暴力」をどう使っていくことができるかという課題を生涯のテーマとして研究を進めていた。
1994年に出版されたジーン・シャープの著作『独裁体制から民主主義へ』は、42の言語に翻訳され、世界中の民主化運動のバイブルとされている。
この本は、バルト3国の独立回復や、セルビアの独裁政権崩壊、エジプトのムバラク政権打倒をもたらした「アラブの春」など、冷戦終結前後から2010年代初頭にかけて世界に広く伝播した非暴力革命に多大な影響を与え、著者のジーン・シャープはノーベル平和賞の候補にもなった。因みに本人が2018年に亡くなった為、ノーベル賞の受賞には至らなかった。
ジーン・シャープの理論で瞠目すべきは、「非暴力」によって独裁の牙城を切り崩すことが可能だと主張している点である。
「非暴力でも可能」なのではなく、「非暴力でなければ勝算は無い」と断言している点が重要である。
長年にわたり人類は、「暴力には暴力で対抗するしかない」と考えてきた。
権力による残虐行為や拷問、誘拐、殺人などに反発する人々が、独裁体制を倒すには「暴力しかない」と判断してきたのも無理はない。
だがその結果は、必ず悲惨な展開で終わることになった。
ジーン・シャープは、抵抗運動に「非暴力」を用いるのは、それが宗教的・道徳的に優れているからではなく、「政治的に賢明な策」であるからだという。
彼は上記著書の中でこう述べている。
「明白なことが一つある。暴力的な方法に頼るのはまさに、抑圧者がほぼ常に優勢となるような闘いを選んでしまったということだ。独裁者は、暴力を圧倒的なレベルで行使できる装備を備えている。民主化勢力は、常にかなわないのだ」
現代世界において、暴力によって自由を勝ち取ることは、まずあり得ないと考えるべきである。
「革命イコール暴力革命」という古い観念を、頭の中から消去する必要がある。今後の革命について論じる際には、「フランス革命モデル」を完全に捨て去らなければならない。
暴力を用いた反乱は、当局による弾圧をより強化する事になり、民衆を以前よりもさらに不自由な状況に追い込む結果をもたらすだけなのである。
独裁体制は見かけほど強くない
『独裁体制から民主主義へ』における最重要のテーマが、「独裁体制は見かけほど強くない」という原理である。
では、なぜ独裁体制は脆いのか。
その解答は、「被支配者が支配者を支えている」からである。
ジーン・シャープは、この発見に基づいて非暴力抵抗論を構築していった。
もし政治権力を、権力者の「物理的力」と考えるならば、権力者以上に物理的な暴力や軍事力を持たなければ支配体制を倒すことはできない、という結論になる。
しかしながらジーン・シャープは、「支配者の政治的な力は、被支配者との相互関係に規定されている」という事実を見抜いた。
即ち、民衆を抑圧する支配者は「統治する民衆の支えを必要」とし、民衆の支えや協力が無ければ、「政治的な力の源を確保し維持することは出来ない」のである。
あくまで独裁体制は、「被支配者が支配者を支えている」のである。
この理解に立って戦略的に抵抗活動を展開すれば、物理的な力を行使することなく、独裁体制を打倒することが出来る。
ジーン・シャープの非武装抵抗理論は、ここから生まれた。
かつて古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、「少数独裁政治と暴君政治は、どんな憲法よりも短命である。暴君政治はどれも長続きしなかった」と語った。
二千年以上を経た現代においてもこれは真理である。
独裁体制ほど脆弱な政治体制は無い。
それゆえに、独裁者の権力を解体させる事は可能なのである。
非暴力による闘争は、インド独立運動のガンジーの後にも、米公民権運動のキング牧師や南アフリカのマンデラなど、世界の各地で勝利を収めてきた。
また、バルト3国の独立回復や、セルビアの独裁政権崩壊、エジプトの「アラブの春」などにおいても、現実に非暴力によって独裁体制が崩壊させられ、暴力に対抗する上で非暴力が「政治的に賢明な策」である事実が証明されてきた。
従って、非暴力闘争による「中華人民共和国の解体」は、決して不可能ではない。
中国から諸民族が独立し、多数の「国民国家」が成立すれば、中国大陸に真の民主主義が実現される。
さらに中華人民共和国の解体によって、極東有事の危機は去り、アジアに平和がもたらされることになるであろう。
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