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「チベット独立」の必要性について
国家再建の意志を失った民族は亡びる
[2023.11.3]
1950年、チベットを侵略した中国人民解放軍 |
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チベットの僧侶に対する迫害は現在も続いている |
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中国共産党の支配に抗議して焼身自殺をするチベット人は後を絶たない |
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「愛国主義教育法」は中国をどう変えるのか
今年10月24日、中国で「愛国主義教育法」が成立した。
同法案は6月に提出されてから僅か4カ月の審議で可決され、施行が来年1月1日からという迅速さである。
近年顕著になった中国経済の低迷や失業者の増大に伴う愛国心の低下現象や、人民解放軍に漂う「厭戦ムード」に対し、習近平国家主席が強い危機感を抱いている事の表れとも見られる。
では、この愛国主義教育法が施行されることで、今後の中国社会はどのように変わるのだろうか。
同法では、愛国主義教育の具体的内容について以下の9項目が挙げられている。
1.イデオロギー:マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、3つの代表重要思想、科学的発展観、習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想
2.歴史:中国共産党史、新中国史、改革開放史、社会主義発展史、中華民族発展史
3.政治:中国の特色ある社会主義制度、中国共産党が率いる民族団結奮闘の重大な成果、歴史経験と鮮やかな実践
4.文化:中華の優秀な伝統文化、革命文化、社会主義先進文化
5.国家の象徴:国旗、国歌、国章など国家の象徴と印
6.国土と文化遺産:祖国の壮大美麗な山河と歴史文化遺産
7.法律:憲法、法律、国家統一、民族団結、国家安全、国防などの意識と概念
8.英雄:英雄烈士、先進模範人物の事績と民族精神、時代精神の体現
9.その他:豊かな愛国主義精神の内容
愛国主義教育法では、教育部が管轄する学校教育現場だけでなく、文化旅行、新聞出版、テレビラジオ、映画、ネット、文物当局など関連部署もそれぞれの責任において愛国主義教育を展開していく、としている。
さらに毎年10月1日の国慶節には、国家、社会を挙げて多くの方法で祝賀活動を行い、愛国主義教育を集中して展開する、としている。
また解放軍、武装警察もこの法律と中央軍事委員会の規定に従って愛国主義教育を行うものとされ、工会(労働組合)、婦女連合会、共産主義青年団、工商業連合会、文学芸術連合会、作家協会、科学技術協会、障碍者連合会の各種団体も、それぞれの責任において愛国主義教育を展開することになっている。
特筆すべきは、各宗教団体、香港・マカオや台湾の同胞、海外華僑同胞にも、こうした愛国主義教育工作が指示されたことである。
香港教区のカトリック教の枢機卿・陳日君がすでに香港版国家安全法違反で逮捕されているが、この法律は香港の宗教の自由に完全にとどめを刺すことになるだろう。
また愛国主義教育法では、家庭内での愛国主義教育も規定されている。
未成年の父母、保護者は家庭教育に愛国主義教育を取り入れ、学校と協力して未成年に愛国主義教育社会活動に参加させることが求められている。
これは家庭教育に中国共産党が直接介入し、保護者の頭越しに党が子供達を直接コントロールすることを法的にも認めたことになる。
文革時代には、親を密告する子供や、親をつるし上げる紅衛兵が存在したが、いよいよ習近平の中国は、文革当時と同様の暗黒社会へと逆行を始めたようである。
さらに愛国主義教育法では、「愛国的でない行為」として以下の行為が挙げられている。
1.国旗、国歌、国章を侮辱、あるいはその尊厳を毀損する行為
2.英雄烈士の事績と精神を歪曲、醜化したり汚したり、否定する行為
3.侵略戦争、侵略行為、虐殺を宣揚、美化、否定する行為
4.愛国主義教育施設を占拠、破壊、汚損する行為
5.法律、行政法が禁止するその他の行為
教育、文化旅行、退役軍人事務、新聞出版、ラジオテレビ、映画、ネット、文物当局は、こうした行為が無いよう責任が負わされる。
また治安管理行為に違反する場合は、治安管理処罰法に基づき処罰され、犯罪を構成する場合は刑事責任が追及される。
さらに、愛国主義教育の責任部署が愛国主義の義務を果たさなかった場合、その担当責任者は法に従って処分される。即ち、愛国的でなければ処罰の対象になるということである。
愛国主義教育法が急いで制定された理由としては、主に3つの理由が考えられる。
第一に、中国経済の低迷に伴い、人民の不満が蔓延している風潮が背景にある。
ロシア・ウクライナ戦争などで米中対立が先鋭化し、中国の外交的孤立がますます進む一方、コロナ禍や不動産バブル崩壊などにより中国経済は悪化の一途を辿っている。
とりわけ若年層の失業率は過去最高水準にあり、その不満は躺平主義(=寝そべり主義)のように、非暴力の抵抗という形で中国全土に広まっている。
その一方で、「白紙革命」のような激しい抗議活動も発生しており、人々の不満がいつ暴発してもおかしくない状態にある。
そうした中、改めて共産党の正統性を人民に教育し、党への忠誠心を高めることによって、資本主義的な価値観を否定すると共に、中国社会に蔓延する個人主義を撲滅してゆくことが、愛国主義教育法制定の目的の第一である。
第二に、戦争準備への対応である。
ロシア・ウクライナ戦争に続いて、ハマス・イスラエルの戦争が起きている。
世界はすでに第3次世界大戦に突入している、と分析する専門家もいる。
現在の世界情勢は、「世界の警察官」を引退した米国のレームダック化に伴い、国際社会の勢力均衡の枠組みが大きく転換しつつあることを示している。
そうした中、今や中国は、自らが新たな国際社会のリーダーとなるチャンスが到来していると確信しているようである。
こうした国際秩序の変革時に、十分想定される事態が戦争である。
習近平は、2012年に政権トップの座に就いて以来、常に戦争準備を呼び掛けてきた。
習近平は、自身の任期中に台湾統一を実現するというプランを明白に掲げている。今の台湾に平和統一の可能性が無い場合には、台湾武力併合の選択肢しか残されていない。
それ故に、これまで習近平政権は、戦争に勝てる軍隊を創るべく軍制改革を行ってきた。
だが問題は、その軍の大半を占める底辺の兵士達の士気である。
少年時代を高度経済成長の中でぬくぬくと育てられてきた一人っ子世代の若者達にとっては、革命の英雄烈士よりも、ビジネスの成功者や大富豪達こそが理想的な偉人なのである。
また彼等は、海外の自由社会の生活や文化への憧れを強く抱いている。国外の生活様式や海外情報は、今やいくらでもネット上で知る事が可能なのである。
そのため、中国の若者世代は、多くが国外に脱出したいと考えており、「潤学」(国外脱出ノウハウ)というスラングが流行語となっている。
このままでは一旦有事の際に、中国の為に命を懸けて戦おうという若者などいなくなってしまう、と当局が心配する状況にある。
こうした事は、軍においても決して例外ではない。
現在の人民解放軍の内部には、「厭戦ムード」が漂い、「米軍と戦争すれば必ず負けるので戦いたくない」と考えている兵士が多いという。
そこで、いざ戦争となった場合を想定し、国家のために命を懸けられる若者のイデオロギー教育が急務ということで、愛国主義教育法の制定が急がれたものと考えられる。
またそれと同時進行で、国防相が解任されたり、ロケット軍の司令、政治委員ら幹部が一斉に更迭された事件からも明らかなように、現在急速に習近平による軍内部の大粛清が強行されている。
軍の高級幹部ですら、汚職や米国との内通の嫌疑がかけられ、次々と粛清されている有様である。
こうした中、人民解放軍内部に、共産党と習近平の影響力を強化し浸透させてゆくことが、愛国主義教育法制定の目的の第二である。
そして、愛国主義教育法の制定を急いだ理由の第三は、習近平が文化大革命当時の「紅衛兵」のような存在を作りたい為である。
習近平独裁に対する国民の反発や党内反対勢力などに対抗する為、習近平は自らを信奉する実働部隊を全国各地に組織したいと考えている。
毛沢東が晩年の10年間に独裁者として君臨し得たのは、紅衛兵のような熱狂的な若い支持者達が大勢取り巻いていたからである。
文化大革命当時に青年期を過ごした習近平もまた、毛沢東に強く憧れ崇拝していた。そして自分も数十年後には毛沢東のようになって、純真無垢な若者達を動員して国を導きたいとの野望が生まれたのであろう。
その結果、現在の中国では、「習近平新時代思想」を小中高校の教科に入れるなど、習近平を崇拝の対象として教育する政策が推進されている。
これは個人独裁の強化でもあり、習近平思想を奉ずる「新紅衛兵」の予備軍が、中国全土の教育現場において育てられつつある事を意味する。
このように、文化大革命を理想とし、個人独裁の復活を望む習近平の政策の一環として、今回の愛国主義教育法は制定されたのである。
愛国主義教育法の施行によって、今後の中国では、文化大革命を引き起こした紅衛兵のような狂信的な若者達が増えてゆく可能性が高まるであろう。
そうして「新紅衛兵」が本格的に組織化された場合、彼等の攻撃の矛先は、国際感覚のある良識的な官僚や政治家達に向けられることは間違いない。
かくして、習近平の暴走を止めようとする「まともな人々」が党内から一掃され、大量に粛清されていくことになるだろう。
もし習近平が一体何を考えているのかを知りたい場合には、文革時代における毛沢東の行動を想起すれば直ぐに答えが分かる。
かつて毛沢東が実権派の劉少奇や鄧小平を失脚させたように、習近平は改革開放派の江沢民や胡錦涛を失脚させた。
また毛沢東が人民解放軍のトップ林彪を失脚させたように、習近平は李尚福国防相を失脚させた。
そして毛沢東と同様、習近平も「終身皇帝」になる予定である。
習近平の究極の目標は、国内においては共産主義以外の全ての思想や宗教を弾圧し、習近平への個人崇拝に基づく独裁国家を確立することであり、対外的には、米帝国主義をはじめとする敵対勢力を打倒し、世界革命を実現することにある。
これらは全て毛沢東がやろうとしていた事である。
1970年代後半のカンボジアのポルポト政権による大虐殺は広く知られているが、ポルポトが政策の理想的モデルとしたのが、毛沢東の文化大革命であった。
ポルポト政権下における地獄絵図は、文化大革命の本質をよく表している。
中国の文化大革命のなれの果てが、ポルポト政権下のカンボジアの姿であったと言える。
そして習近平は、今後の中国および周辺諸国をそのような地獄絵図に変えようとしているのである。
現在の世界は明らかに「新冷戦」体制下にある。
中国人民解放軍全体には「厭戦」のムードが漂う一方で、一部の「跳ね返り」や「鉄砲玉」が頻繁に活躍している。
南シナ海でフィリピンの補給船に対して中国の海警船がぶつかりに行ったり、尖閣諸島上空で、中国軍機がカナダの偵察機に5メートルまで接近してフレアを発射したりする行為も発生している。
愛国主義教育が強化されれば、こうした挑発行為が中国国内では「英雄的行為」として称賛され、またそれに追随しようとする兵士が増えることにもなるだろう。
そもそも愛国心は、国家が法律によって国民に強制する性質のものではない。
しかも、今回制定された愛国主義教育法による「愛国」とは、共産党を愛し、習近平を崇拝する事を意味する。一体これのどこが「愛国」なのだろうか。
本当の「愛国」とは、これまで中国の文化や伝統や宗教を破壊してきた中国共産党を打倒する事ではないのか。
良識ある中国国民に期待する他はない。
国家再建の意志を失った民族は亡びる
上記のように現在の中国の体制が、半世紀以上前の毛沢東時代へと逆行するのであれば、「チベット自治区」の在り方も根本から見直さなければならないことになる。
1989年12月10日、ノルウェーのオスロにおいて、ダライ・ラマ 法王によるノーベル平和賞受賞スピーチが行われたが、その中で法王は次のように述べている。
過去40年間にわたる占領期間中、我が国民が強いられた苦痛は、よく文書に記録されています。それは長い闘争の歴史です。私たちの主張が正しいものであることをよく認識しています。暴力はなお一層の暴力と苦痛を生みだすだけですから、私たちの闘争は非暴力に徹し憎悪から離れたものでなければなりません。我が国民の苦しみに終止符を打ち、他の民族にも苦しみを与えることがないよう私たちは努力しているのです。
私が多くの機会を捉え、チベット・中国間の交渉を提案してきたのもそれを念頭においてのことです。1987年、チベットにおける平和と人権を回復するための五項目プランの中で具体的な提案をしました。その中には、全チベット高原を、人と自然が平和で調和を保ちながら共存できる平和と非暴力の聖域「アヒンサー地域」とすることも含まれています。
昨年(1988年)私は、ストラスブールの欧州議会でこのプランを詳細にわたり説明しました。その際に私が表明した考え方はあまりにも妥協的だとして一部のチベット人から批判されてきました。しかし私は、この考え方が現実的で妥当なものであると信じております。残念ながら中国の指導者たちは、かなりの譲歩を含むこの提案を積極的に受けとめていません。
もしこのような状況が続くならば、私たちの方もやむなく立場を再考せざるをえなくなるでしょう。
以上のダライ・ラマ法王スピーチでも語られたように、1987年の「チベットに関する五項目和平案」や1988年の「ストラスブール提案」については、中国の指導者たちが同提案を積極的に受け止めない状況が続いた場合には、「再考せざるを得ない」のである。
そもそも「チベットに関する五項目和平案」は、チベットが中国の自治区であり続ける為の前提条件でもあった。
この事は非常に重要な点である。「五項目和平案」が正しく履行されないのであれば、チベットが中国の自治区であり続ける必要は無くなるのである。
1987年9月21日、米国議会の人権問題小委員会において、ダライ・ラマ法王は、「チベットに関する五項目和平案」を次のように提案した。
1.チベット全土を平和地帯とすること。
2.民族としてのチベット人の存在を危うくする中国人の大量移住政策の放棄。
3.チベット人の基本的人権と民主主義自由の尊重。
4.チベットの環境の回復と保護。中国がチベットを核兵器製造及び核廃棄物処分の場所として使用することの禁止。
5.将来のチベットの地位、並びにチベット人と中国人の関係についての真摯な交渉の開始。
しかしながら同年10月17日、中国指導部はこの提案を拒否し、ダライ・ラマ法王自身と中国政府の溝を深めるものだとしてダライ・ラマ法王を非難した。
中国当局によるこのような非礼な反応に対しても、ダライ・ラマ法王はさらに誠実な努力を重ね、12月17日、チベットの立場を14カ条の覚書に詳述して中国政府に送付した。
翌88年6月15日、ストラスブールで開かれた欧州議会にて、ダライ・ラマ法王は新たな提案を行った。これは先の「五項目和平案」において、交渉に関する最後の項目を修正したもので、「ストラスブール提案」と呼ばれる。
このストラスブール提案では、中国から分離・独立するという考えを捨て、中国と協調する意向が示されていた。
1979年に鄧小平がチベット亡命政府のギャロ・トンドゥップ氏に向けて語った、「独立に関することでなければ何でも言ってよい」という言葉の範囲を、ストラスブール提案が越えていない点は重要である。
こうした交渉が為された1987年から88年の時期の中国は、胡耀邦や趙紫陽といった民主的な指導者の時代であり、中国が歴史上、最も西側諸国に向けて開かれていた期間であった。
だが、翌1989年には胡耀邦が死去し、それを追悼する学生達や民衆の運動が天安門事件に発展した。またその天安門事件の際に学生達の側に立った趙紫陽は失脚した。
その結果、チベット亡命政府が中国当局と対話を持つ可能性は永久に失われた。
胡耀邦や趙紫陽が最高指導部だった時代でさえ、中国は「五項目和平案」や「ストラスブール提案」を拒否し続けていたのである。
ましてや現在の習近平政権は、毛沢東主義を理想とし、毛沢東が目指したチベットの民族浄化(=チベット民族抹殺)を実行している政権なのである。
ならば、チベット側がいつまでも律儀に「五項目和平案」や「ストラスブール提案」を一方的に遵守し続ける必要など全く無いはずである。
もともとそれらの提案は中国との合意があったわけでは無く、国際法的にも守る必要の無いものであった。
そもそも中国の「自治区」において「自治」が守られない事は、2020年の香港の事態を見ても明らかである。
「自治区」において「自治」などがあり得ない事は、現在のイスラエルにおける「パレスチナ自治区」ガザの悲惨な現状を見ても明白である。
またイラクのフセイン政権による「クルド人自治区」における大量虐殺も記憶に新しい。
この世界においては、「自治区」という言葉が「屋根の無い監獄」と同義である事を知らなければならない。
従ってチベットは、いつまでも中国の「自治区」であり続ける必要は無い。「高度な自治」など最初から存在しなかったのだから。
むしろ「チベット独立」を公に宣言し、国際社会に向けて「非暴力による抵抗」の声を上げた方が、中国当局による迫害に歯止めをかける上で有効であろう。
チベットは歴史が始まって以来、ずっと独立国家であった。
1950年に中国人民解放軍が一方的にチベットに侵略して以降、中国共産党がチベットを不法占拠しているだけなのであるから、「立ち退き要求」は当然の権利である。
もともと宗教も民族も異なるのだから、チベットと中国本土との「分離」は歴史的必然である。
一般的に「国家」の定義は、「国土、国民、主権」の三要素と言われる。
だが、国家を国家たらしめる要素は、「歴史」と「信仰」の共有に他ならない。
かつてユダヤ民族は、「国土」も「主権」も奪われた状態で、長年にわたり世界中で迫害され続けた。それでも2千年かけてようやく自分達の独立国家を再建し得た。
そうした奇蹟を可能にしたのは、ユダヤ人達が2千年もの間、民族の栄光と悲劇の歴史を片時も忘れず、「約束の地」に国家を再建する事を諦めなかったからである。
ユダヤ人の歴史は、たとえ「国土」や「主権」を奪われたとしても、民族の歴史を忘れず、国家再建を夢見続けていれば、いつの日か必ず国家を取り戻せる事を示している。
逆に、国家再建の意志を失った民族は亡びる。
国家を持たない事は、「主権」を放棄する事であり、土地と住民の命運が、全て他国によって決定される事を意味する。
チベットを中国の「自治区」として認める事は、チベットの聖なる地に中国の主権を認め、「まな板の上の鯉」のように、チベットの敬虔な住民達の生死を、中国共産党の手に委ねるに等しい行為なのである。
事実、それは現在のチベット自治区における現状を見れば明らかである。
古来よりチベット人は、信仰と歴史を忘れない民族である。
しかしながら、彼等が現状のまま自らの国家を持とうとせず、主権を放棄し続ける限り、中国共産党の政策次第で、今後どのような運命が待ち受けているか分からない。
先にも述べたように、「五項目和平案」や「ストラスブール提案」が示された1987、88年当時の中国と、習近平政権の中国とは、全く「別の国家」であるという認識が必要である。
現在の中国の最高指導部は、チベット侵略の張本人・毛沢東の路線に基づいて、チベット民族に対するジェノサイド政策を実施している。
従って、チベットに残された選択肢は、「独立」か「滅亡」かの二者択一しか存在しない。
独立しなければ滅亡あるのみである。
「主権」を回復しない限り、「自治」そのものもあり得ないという事を知る必要がある。
いつまでも中国共産党の「慈悲」に期待していてはならない。
チベットが滅亡を免れる道は、法的効力の無い「五項目和平案」や「ストラスブール提案」を早急に撤回して、国際社会に向けて「チベット独立」を宣言し、「非暴力による抵抗」に基づく独立闘争を展開する以外には無い。
世界中の心ある人々は、チベットの悲惨な現状と中国共産党の蛮行を知れば、必ずや「チベット独立」を支援するであろう。
チベット人は、かつて世界中で迫害を受けてきたユダヤ人とは違って、今では世界中の良識ある人々から支持されている。
地球上でチベット人を迫害しているのは、中国共産党という悪徳暴力集団だけである。
たとえ中国に気兼ねする日本や米国の当局者が「チベット独立」に反対したとしても、現在のグローバルな情報社会においては、民間の個々人の影響力が国家を凌駕する。
チベットは、中国共産党の「慈悲」に期待するのではなく、世界中の人々の「良心」を信頼しなければならない。
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