Top Page
《外部リンク》
⇒ 皇祖皇太神宮
⇒ 一般財団法人 人権財団
|
世界経済とグローバリゼーションの終焉
百年に一度の国家戦略の大転換を
[2023.3.10]
|
米議会で利上げペースの加速を宣言したパウエルFRB議長 |
|
FRBの利上げ政策の間違い
2023年現在、世界中が未曾有のインフレ経済に陥っている。
米国では、2022年6月に消費者物価指数の伸び率が昨年比9.1%を記録した。FRB(米連邦準備制度理事会)は、こうしたインフレに対し、利上げによる金融引締めを実施した。
しかしながら、FRBが度重なる利上げを繰り返しても、事態は一向に改善されず、インフレは収まらず、一方で大量のリストラが進行し、失業者が溢れ返っている。
果たして、インフレ時における利上げ政策は、正しい選択なのであろうか。今こそ根源的な問いが必要とされている。
そもそもインフレやデフレは、「需要」と「供給」のアンバランスによって発生するものである。
ただしインフレには、「デマンドプル・インフレ」と「コストプッシュ・インフレ」の2種類がある。それぞれは全く異なる性質である為、処方箋も全然別物である事を知らねばならない。
「デマンド」とは「需要」のことで、デマンドプル・インフレは、需要が増大して供給が追い付かなくなることにより、モノが不足して価格が高騰する現象である。これが一般的に知られる「インフレーション」の典型的なモデルである。
デマンドプル・インフレの例としては、朝鮮戦争時の特需景気や80年代のバブル景気、開発独裁国における過剰な公共投資などが挙げられる。
一方、コストプッシュ・インフレとは、「供給力の低下」によって起こるインフレで、例としては1970年代の石油ショック、気候変動や台風による農作物の不作による食料価格高騰などが挙げられる。
現在、ウクライナ戦争によって「世界の穀倉地帯」と呼ばれたウクライナからの小麦供給がストップする事により、家畜飼料の高騰に伴う乳製品高騰や食肉高騰といった現象が発生しているが、これらは典型的なコストプッシュ・インフレである。
このように、需要が伸びるのがデマンドプル・インフレ、供給が下がるのがコストプッシュ・インフレである。この2つは、全く異なるインフレである。
「インフレになれば利上げ」「不況になれば利下げ」といった教科書的対応が可能なのは、デマンドプル・インフレの場合だけである。
これに対して、コストプッシュ・インフレの場合は全く逆である。
コストプッシュ・インフレの場合は、利上げによって設備投資が抑制される為、供給力がさらに下がり、長期的にはかえってインフレが進行することになる。
実際問題として、コストプッシュ・インフレに対しては、中央銀行は有効な対応策を持ち合わせていない。コストプッシュ・インフレへの対処は、政府による大規模な公共投資のみが有効とされる。
因みに、先進国でインフレが発生する場合、大抵はコストプッシュ・インフレである。
第二次世界大戦後の先進国は概して生産力が高く、需要が伸びても供給が直ぐに追いつく為、デマンドプル・インフレは発生しにくい。
そのため、「インフレが起こったら利上げ」という対策は、先進国の場合は解決法にならないのである。
事実、FRBは2022年に何度も利上げを繰り返したにも関わらず、インフレは収束しなかった。そこでFRBは、2023年3月に利上げをさらに加速させる方針を発表したのであるが、これは完全に泥沼に陥った状態である。
現在のFRBの利上げ政策の間違いの第1点目は、供給低下に起因するコストプッシュ・インフレに対して、需要を下げる対策をしている、という点である。
需要が下がれば、民間企業は人員整理やリストラをして賃金を抑制する他に生きる道が無くなる。これでは景気が良くなるはずがない。
FRBの利上げ政策の間違いの第2点目は、高金利が企業による設備投資を抑止するという問題である。
金利が上がることにより、企業は設備投資を控えるようになる。その結果、社会全体の供給力はますます低下し、結果的にコストプッシュ・インフレに拍車が掛かることになる。これではインフレは収まらない。
そしてFRBの利上げ政策の間違いの第3点目は、日本円のような低金利通貨との金利差を利用して利ざやを稼ぐヘッジファンドの食い物にされることにより、金融のグローバル市場を通じて大量の他国通貨が米国内に流入し、金融当局による引き締め効果が相殺されるのみならず、過剰流動性によるインフレが促進されることである。
世界同時インフレの原因を作った日本銀行
昨年来、米国では製造業から消費財、ハイテクに至るまで、あらゆる分野の大企業の利益予想が悪化している。
マイクロソフトやアマゾン・ドット・コム、メタ(旧フェイスブック)、グーグルなどのIT企業やゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーなどの金融業界でも、万人規模の人員削減を行い始めている。
大幅に金利が上昇すれば、企業は金融機関から融資を受けて設備投資をするよりも、むしろコスト削減の為に人員整理に走るのは必然である。
すでに米国経済は、リーマンショック時を上回る経済危機の状態にあると言われている。
にも関わらず、不思議な事に米国の株式時価総額は底堅く推移している。これは何故なのか?
実はこれは、日本銀行による「異次元金融緩和」政策が、世界経済とりわけ米国経済に及ぼした影響である。
深刻なインフレに直面している米FRBや欧州中央銀行(ECB)は、いずれも利上げを推進し、量的引き締めによる流動性の縮小を図っている。
一方、それとは対称的に日本銀行は、なりふり構わぬ金融緩和を強行し、円建て国債を大規模に購入し続けた。
かくして大量に乱発された日銀発の過剰流動性は、国内に循環することなく、大半が海外へと流出し、主に米国の金融市場で猛威を振るうことになった。
その流れを主導している元凶は、米国のヘッジファンドである。
米国のヘッジファンドは、低金利の円を大量に借入れ、その円を売ってより高い利回りである米ドルの通貨、あるいは米ドル建ての株式や債券などで運用して莫大な「利ざや」を稼いでいる。所謂「円キャリー取引」である。
昨年10月以降の4カ月間だけでも、8490億ドル(約110兆円)に上る流動性が日本から海外に放出されている。
とりわけこの期間は、日銀が急激な円安に歯止めをかけようとし、また金利を0.5%以内に抑え込む為、国債を買いまくった時期であった。
つまり、投機筋が日銀の利上げを見越して国債を売りに回ったのに対し、日銀は何が何でも国債の利回りを抑え込もうと買い向かったことで、世界の金融市場は再びカネ余り状態に回帰してしまったのである。
かくして世界経済の流動性は再び拡大し、日本銀行が発行した多額の資金が世界金融市場になだれ込んでいる。その結果、世界の株式相場は崩れないのである。
結果として日本銀行は、国内経済の為ではなく、世界経済の崩壊を食い止める為に、せっせと円建て国債を買いまくっていたのであった。
文字通り、「異次元」の世界での金融緩和が実現されたことになる。
しかしながら我が国としては、すでに失敗が明らかなアベノミクスや黒田バズーカ路線を、いつまでも継続するわけにもいかない。いずれ必ず出口戦略が求められる。
「世界の株式相場を支える日銀」と言えば格好いいが、要は大量の国債購入で世界金融市場における流動性を危険水域まで増加させてしまったため、一旦逆転させれば世界同時株安になってしまうという、「進むも地獄、退くも地獄」の状態にあるのが、現在の日本銀行なのである。
今や日本銀行の金融政策の変更は、世界経済を崩壊させる時限爆弾になっている。
「歴史にイフは無い」と言われるが、もし仮に、金融経済にグローバリゼーションが及ばなかった1990年代以前の時代であれば、アベノミクスや黒田路線の「異次元の金融緩和」政策は、日本国内においては成功していたかも知れない。
日銀によって創出された流動性が国内のみで還流していれば、貧困層や低所得層にも十分な貨幣が行き渡り、より良い形で「トリクルダウン」が実現し得た可能性はある。
だが現代世界はすでに、金融経済が一国のみで完結し得る時代ではなかったのである。
アベノミクスや日銀黒田路線の大失敗は、全て「グローバリゼーション」による必然的結果であった。
グローバリゼーションの終焉に向けて
2000年代から2010年代にかけて、「これからはグローバリゼーションの時代だ」あるいは「グローバリゼーションに乗り遅れるな」などと景気の良いスローガンが喧伝された時期があった。
あたかもナチスドイツが全盛の1940年に、「バスに乗り遅れるな」というスローガンに圧されて、日本が日独伊三国軍事同盟を締結し、国の行く末を誤った歴史を彷彿とさせる。
しかしながら、2023年現在の私達には、「グローバリゼーションの時代は終わった」という認識こそが必要である。
今後は、「ポスト・グローバリゼーション」の時代を見据えて国家戦略を根本から立て直す事が求められる。
かつてソ連や東欧の社会主義国家が崩壊した1990年代は、米国が地球上において唯一絶対と言えるほどの圧倒的な力を持っていた。さらにそれ以後の約30年間は、米国の覇権の下で国際秩序が安定していた。だからこそ、経済的にも文化的にもグローバリゼーションが実現し得たのである。
その期間は、企業が安価な労働力を求めて世界中の色々な場所で工場を建設することも出来たし、一方で低賃金労働者が国境を越えて世界中の色々な場所で働く事も出来た。またそれによって、賃金や物価の上昇が抑えられ、インフレが抑制されてきた。
そうした米国「一強」体制の世界においては、ロシアがウクライナに対して戦争を仕掛けることなど考えられない事であった。
逆に言えば、ロシアがウクライナに対して戦争を始めることが出来たという事実が、現在がすでにグローバリゼーションの時代ではなくなった事を証明している。
ウクライナ戦争が全世界に示したものは、グローバリゼーションの基礎であった国際秩序が完全に失われた、という事実に他ならない。
米国の覇権が後退し、国際秩序が不安定になった状態では、グローバリゼーションなど成立し得ない。
グローバリゼーションとは、決して普遍的な価値でもなければ、人類社会の到達点でもなかったのである。グローバリゼーションが終焉した以上、今後は、企業が安価な労働力を求めて世界中に生産拠点を建設することは出来ない。
ウクライナ戦争を契機として物価は上昇し、世界中にインフレが加速した。この場合のインフレとは、言うまでもなく「コストプッシュ・インフレ」である。
グローバリゼーション崩壊に伴う「世界同時インフレ」の発生は必然であった。
「グローバリゼーション崩壊」の原因が「米国の覇権喪失」だとするならば、そもそも「米国の覇権喪失」の原因は一体どこにあったのか? 実はこれについては様々な見解がある。
2003年3月に米国が一方的にイラク戦争を始め、これに欧州諸国が総反発して以来、米国の国際的影響力が弱まったとする説、あるいは、2008年9月に発生したリーマンショックによって米国の経済的覇権が終わったとする説など、様々あるが、最も重要な「事件」は、2013年9月の「アメリカは世界の警察官ではない」というオバマ大統領の発言であろう。
米国が自ら「世界の警察官」たる役割から降りる事を表明したオバマ発言により、国際社会における米国の影響力の低下が顕著になったと言える。
また丁度その時期は、習近平が中国における独裁権力を固め、外に向かっては強引な海洋進出と「戦狼外交」を開始した頃である。
そして、翌2014年にロシアがクリミアを軍事占領した際には、米国は手も足も出なかった。
グローバリゼーションの大前提であった米国の覇権が失われたのは、ほぼこの時期であったと考えられる。
一方、米国が「もう世界の警察官にはならない」と宣言しているにも関わらず、日本政府は今でもなお集団的自衛権を前提にした防衛戦略を見直そうともしない有り様である。
グローバリゼーションの崩壊により、今後は中国と台湾をはじめとする東アジアの秩序が崩れてゆく事は火を見るよりも明らかである。
2022年9月には、台湾の安全保障を促進する為、米国上院外交委員会で「台湾政策法案」が可決された。しかしその内容は、台湾に対する武器の売却や中国に対する厳しい経済制裁に留まり、「戦闘以外の軍事的支援」がメインとなっている。
この程度の内容で、米国は台湾を中国から守ることが出来るのだろうか、と疑問に思わざるを得ない。実際のところ、米国は台湾防衛には消極的である。
米国は、中国が台湾を統一することを認めてはいないが、それ以上に、米国は中国との全面戦争を避けたいようである。
中国も米国との全面戦争は想定していない。従って今後は、米国が台湾を見捨てる形で、米国と中国は必ず和解へと向かうことになるだろう。台湾の為に米国民が血を流す事はあり得ないし、そもそも米国に台湾を守る義務は存在しない。
長期的視座から展望するなら、今世紀の半ばには、GDPはインドと中国とが世界第1位と第2位を争うようになり、米国は大きく差を空けられて世界第3位の経済力に甘んじるようになる。これはほぼ確定事項と言って良い。
かつて世界を制した大英帝国が没落したように、これからは米国が没落する。
20世紀半ばに経済力を失った英国が次々と植民地を手放したように、21世紀半ばには、経済的低迷に陥った米国が世界中から米軍を撤収させる事になる。
その頃になれば、米国の絶対防衛圏は「ハワイ以東」まで後退するだろう。在日米軍も撤退し、日本は独自に防衛力を整備しなければならなくなる。
日本の国防体制は自主防衛が基本となり、シーレーンも自力で守らなければならなくなる。また経済体制は、自給自足の一国経済あるいはブロック経済になる事が予想される。
このようにして我が国は、米国の庇護下にあった「百年の眠り」から目醒め、「グローバリゼーションとは真逆の国家戦略」が求められる時代になるだろう。
2023年現在、日本銀行は「グローバリゼーションの世界経済を終焉させる」という世界史的任務を迫られている。
そもそも日銀が半永久的に国債を買い続けて、長期金利を0.5%以内に維持することなど不可能である。
日本でも物価が上昇する中、このまま日銀が事実上の量的緩和を続けるなら、インフレは加速し、収拾がつかない事態に陥ることになる。
今、日本銀行が為すべき事は、グローバリゼーションの為に失敗を余儀なくされた「異次元緩和」政策を強制終了させることによって、グローバリゼーションの世界経済に終止符を打つ事であろう。
すでにグローバリゼーションの時代は終わっているのである。
|
|
|